吉備津神社
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この項目では、岡山県岡山市の神社について説明しています。その他の用法については「吉備津神社 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

吉備津神社

本殿(国宝)
所在地岡山県岡山市北区吉備津931番地
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分14.4秒 東経133度51分2.2秒 / 北緯34.670667度 東経133.850611度 / 34.670667; 133.850611座標: 北緯34度40分14.4秒 東経133度51分2.2秒 / 北緯34.670667度 東経133.850611度 / 34.670667; 133.850611
主祭神大吉備津彦命
神体吉備中山(神体山
社格式内社名神大
備中国一宮
旧・官幣中社
別表神社
創建不詳
本殿の様式吉備津造檜皮葺
例祭5月第2日曜日
10月19日
主な神事鳴釜神事(金曜以外毎日)七十五膳据神事(春・秋)
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}吉備津神社
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吉備津神社の神紋(輪違い紋)
(わちがい もん)神体山とする吉備の中山右端は参道の松並木。入り口の注連縄

吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市北区吉備津にある神社式内社名神大社)、備中国一宮旧・社格官幣中社で、2023年令和5年)現在神社本庁別表神社

「吉備津彦神社(きびつひこじんじゃ)」とも称したが、2023年令和5年)現在は「吉備津神社」が正式名である[1]



概要

岡山市西部、備前国備中国の境の吉備中山(標高175メートル)の北西麓に北面して鎮座する。吉備中山は古来神体山とされ、北東麓には備前国一宮・吉備津彦神社が鎮座する。当社と吉備津彦神社とも、主祭神に、当地を治めたとされる大吉備津彦命を祀り、命の一族を配祀する。

本来は吉備国の総鎮守であったが、吉備国の三国への分割により備中国の一宮とされ、分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。この事から備中の吉備津神社は「吉備総鎮守」「三備一宮」を名乗る[2][3]

足利義満造営とされる本殿は全国唯一の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財に指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。

当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。神池の畔に犬養毅の銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫になる。
祭神

祭神は次の9柱。
主祭神


大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)第7代孝霊天皇の第3皇子で、元の名を「彦五十狭芹彦命(ひこいせさりひこのみこと、五十狭芹彦命)」。崇神天皇10年、四道将軍の1人として山陽道に派遣され、の若日子建吉備津彦命と吉備を平定した。その子孫が吉備の国造となり、古代豪族吉備臣(のち吉備朝臣)になったとされる。

相殿神


御友別命(みともわけのみことのみこと) - 大吉備津彦命の子孫

仲彦命(なかつひこのみこと) - 大吉備津彦命の子孫。

千々速比売命(ちちはやひめのみこと) - 大吉備津彦命の

倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと) - 大吉備津彦命の姉。

日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと) - 大吉備津彦命の

倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと) - 大吉備津彦命の

彦寤間命(ひこさめまのみこと) - 大吉備津彦命の弟。

若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと) - 大吉備津彦命の弟。

古くは「吉備津五所大明神」として、正宮と他の4社の5社で1つの神社を成した(他4社の祭神は後述の「摂末社」項参照)。 祭神の関係略図 社伝に従うもので、古事記日本書紀 等の系図とは表記が若干異なる。

 7 孝霊天皇 8 孝元天皇 
    
   千々速比売命
 
   倭迹迹日百襲姫命
 
   日子刺肩別命
 
   大吉備津彦命  → [吉備氏
  
   倭迹迹日稚屋媛命
 
   彦寤間命
 
   若日子建吉備津日子命  → [吉備氏]
  

歴史
創建

社伝によれば、祭神の大吉備津彦命は吉備中山の麓の茅葺宮に住み、281歳で亡くなって山頂に葬られた。5代目の子孫の「加夜臣奈留美命」が茅葺宮に社殿を造営し、命を祀ったのが創建とする説もある。また、吉備国に行幸した仁徳天皇が、大吉備津彦命の業績を称えて5つの社殿と72の末社を創建したという説もある。
概史

朝廷からの篤い崇敬を受け、国史では承和14年(847年)に従四位下神階を受けた記載が最初で、翌年には従四位上に進んだ。仁寿2年(852年)には神階が品位(ほんい)に変わって四品(しほん)が授けられ、10世紀には一品(いっぽん)まで昇叙された。

延長5年(927年)成立の『延喜式神名帳では備中国賀夜郡に「吉備津彦神社 名神大」と記載され、名神大社に列している[4]

中世には武家の崇敬を受け、たびたび社殿の修復や社領の寄進があった。江戸時代中期には三重塔を破却し神仏分離を行った。

明治維新後、明治4年1871年)に近代社格制度において国幣中社に列し、公称を2023年(令和5年)現在の「吉備津神社」に定めた。


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