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吉住 小三郎(よしずみ こさぶろう)は、近世中期以来の長唄の唄方。6代目を数える。
目次
1 初代
2 2代目
3 3代目
4 4代目
5 5代目
6 6代目
7 7代目
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
(元禄12年(1699年) - 宝暦3年7月16日(1753年9月13日))幼名を仙次郎。 摂津住吉生まれ。住吉神社の神官(伶人説もある)の家の出で、住吉を逆にして吉住と称したとされる。初名は仙次郎。6代目杵屋喜三郎の弟子説と、4代目中山小三郎
初代
(寛政11年(1799年) - 嘉永7年2月11日(1854年3月9日))
四ツ谷の芋屋の生まれ。五郎三郎といい、俗に芋五郎といわれた。3代目芳村伊三郎の弟子。初名芳村五郎治
。天保6年(1835年)ころ、吉住小八から3代目芳村伊十郎を襲名、後に花垣五郎三郎、弘化3年(1846年)に2代目小三郎を襲名。3代目岡安喜三郎、2代目冨士田音蔵と共に「天保の三名人」と称され、俗に「芋屋の小三郎」という。先代同様に唄浄瑠璃を得意とした。 (天保3年(1832年) - 明治22年(1889年)12月25日) 江戸の生まれ、2代目の弟子、前名吉住小太郎。万延元年(1860年)に3代目小三郎を襲名。 東京新宿生まれ。吉住勘四郎の子。幼名は長次郎。3代目の義弟で、養子となる。1889年12月に4代目を襲名。1890年に12代目杵屋六左衛門に属して歌舞伎座に出演、1893年5月に9代目市川團十郎の「勧進帳」を務めたが事情あって退座しその後演技座、明治座に出演、5代目市川新蔵、5代目尾上菊五郎の舞台に出るも新蔵らの死去などで舞台の出演が減る。1902年に3代目杵屋六四郎(後の2代目稀音家浄観)とともに長唄研精会
3代目
4代目四世吉住小三郎
その唄はCD12枚組の「四世 吉住小三郎全集」(コロムビアミュージックエンタテインメント、2007年)などで聴くことができる。
墓所は港区西福寺。
典拠管理 4代目の長男、東京の生まれ。本名・吉住秀雄。1924年2代目住吉小太郎 5代目の長男、東京の生まれ。本名・吉住隆雄、1954年に東京芸術大学邦楽科卒業後、1956年に東京芸術大学研究科修了。
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5代目
6代目