吉井怜
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よしい れい
吉井 怜
別名義飛知和 怜
生年月日 (1982-03-18)
1982年3月18日(42歳)
出身地 日本 東京都
身長155 cm
血液型A型O型
職業タレント女優
活動期間1996年 -
事務所ホリ・エージェンシー
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吉井 怜(よしい れい、1982年昭和57年〉3月18日 - )は日本女優タレントである。東京都出身。ホリ・エージェンシー所属。夫は俳優山崎樹範
略歴
生い立ち

父親の勤務の都合で小学生時代の一時期を北海道で過ごす[1]

東京都立永福高等学校(現在:東京都立杉並総合高等学校)卒業。
デビュー

デビュー当時は清純派アイドルだった[2]

1996年テレビ東京の情報番組『IT'sアクセス』でTVデビュー[3]

1998年、テレビ東京の特撮番組『仮面天使ロゼッタ』のヒロイン・神あすか役で初主演を果たした[3]

1999年ホリプログループによる1ヶ月期間限定ユニット「NITRO」のメンバーに選出され、優香堀越のり唐沢美帆と共に活動した。同年度のフジテレビビジュアルクイーンに選出された。
闘病

2000年奄美大島でのグラビア・カレンダーの撮影時に急性骨髄性白血病を発症した。

病名は両親にだけ伝えられ、骨髄不全症から来る再生不良性貧血で3か月の入院が必要と告げられた。医師から治療(抗がん剤投与)の副作用から髪の毛が抜け落ちると告げられ、芸能生活がおしまいだと絶望感を味わったが、当時の専務の「待っているから」という言葉に励まされた[3]

治療では無菌室に入り、1回目の抗がん剤の投与で髪の毛が抜け落ち爪も黒くなり[3]、入院から一か月後、本人に本当の病名が告知された。抗がん剤の投与は4回行われ、退院まで5か月がかかった[3]。医師は彼女に寛解維持療法と骨髄移植の2つの方法があり、母親とHLAが一致することから骨髄移植を勧めたが、彼女は芸能界復帰がかなわなくなることを恐れ寛解維持療法を選んだ[3]

自宅に戻ったが芸能界にはまだ復帰できず、兄の「生きてなかったら、仕事もできない」という言葉で骨髄移植を受ける決意をした[3]。2001年7月11日、母親からの骨髄提供により骨髄移植を受けた[3]。移植後は移植片対宿主病(GVHD)も加わり、10日間ほどの記憶をなくしている。血液型がA型からO型に変わった[3][注 1]
復帰

その闘病記『神様、何するの… 白血病と闘ったアイドルの手記』(2002年)はベストセラーとなり、2003年末にはフジテレビの番組『金曜エンタテイメント』内で宮地真緒主演でドラマ化された[3]

2004年に映画『火火』で無菌室に入院したがん患者の世話をする役を演じたが精神的に苦しかったという[3]

2006年公開の映画『LOVE MY LIFE』においてオールヌードを披露した[4]

2009年4月開始の昼ドラマ『エゴイスト ?egoist?』では、川島なお美の演じるトップ女優の隠し子役として[3]、11年ぶりに連続ドラマ主演を果たす(全国ネットとしては初主演)[注 2]

2011年デビューから15周年記念写真集「ここから」で大胆ヌード写真集を披露した[4]。同年11月公開の映画『夕闇ダリア』では略奪愛を行うヒロインを演じた[5]、また『寄性獣医・鈴音 GENESIS×EVOLUTION』では神楽坂恵とハードなバトルアクションを演じた[2]


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