公益財団法人合気会
AIKIKAI FOUNDATION
合気会 本部道場
団体種類公益財団法人
設立1940年4月30日
所在地東京都新宿区若松町17番18号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分56.3秒 東経139度42分51.5秒 / 北緯35.698972度 東経139.714306度 / 35.698972; 139.714306
公益財団法人合気会(あいきかい)は、合気道を社会に普及することを目的に、合気道創始者植芝盛平が設立した日本の公益法人。本部は東京都新宿区。
大東亜戦争開戦前に「財団法人 皇武会」として発足し、終戦後「合気会」と改称。2012年(平成24年)より公益財団法人に移行した。
合気道界で最大勢力の合気道統括組織であり、日本国内100万人・世界全体で160万人ともいわれる合気道人口の8割を占める。
盛平の死後、実子の植芝吉祥丸が代表者である2代目道主を継承し、現在は植芝守央が3代目道主を務める。
日本武道協議会に加盟しており、毎年5月に日本武道館で全日本合気道演武大会が開催される。参加者は1万人以上。外国からの参加者も多く、最大の合気道イベントである。
歴史
1931年(昭和6年) 東京都新宿区若松町で皇武館道場を設立
1940年(昭和15年) 「財団法人皇武会」(初代会長・竹下勇)として厚生省(当時)より認可を受ける
1948年(昭和23年) 名称を皇武会から合気会と改め、文部省の認可を受け「財団法人 合気会」(初代理事長・富田健治)となる[注 1]。
1961年(昭和36年)防衛省合気道連合会設立[1]。
同年(同年)全国学生合気道連盟設立[1]
1969年(昭和44年)盛平死去、吉祥丸が二代目道主となる。
1976年(昭和51年)には合気会傘下の全日本合気道連盟及び国際合気道連盟(IAF)[2]が結成される。
1984年(昭和59年)IAFは国際競技団体総連合(GAISF)の正式会員となる[1]。
1989年(平成元年)以降ワールドゲームズ大会に毎回参加。
1999年(平成11年)には吉祥丸の次男植芝守央が三代目道主となる。合気会の会員は、国内100万人とも言われる合気道人口の大半を占めている[注 2]
2002年(平成14年)全国高等学校合気道連盟創設[1]。
2010年(平成22年)現在合気会だけで約95ヶ国に支部道場を開設している[注 3]。
2012年(平成24年)4月1日 公益財団法人に移行[5][6]。
歴代道主
開祖 植芝盛平
二代 植芝吉祥丸
三代 植芝守央
合気会の代表を道主と呼ぶ。他の芸道における家元・宗家とほぼ同義。ただし、合気道全体の道主というニュアンスがある(すなわち『合気道道主』であって『合気会道主』とは言わない)。創始者の植芝盛平を初代と数えるが、通常は開祖と呼ぶ。合気会における組織上の役職としては理事長がありこれを道主が務める。また、ほかの武道、芸事で道主という言葉を使うところはない(例外として韓国の武道ハプキドーが道主という言葉を使う。しかしこちらは“上級師範”あるいは“皆伝を受けた者”といったニュアンスで同じ流派に複数の“道主”が存在する)。 合気会では空手道や柔道と同様に段級位制を採用し、八級から壱級までの級位と初段から八段までの段位が存在する[7]。試合や競技がないため、昇級・昇段(初段から四段まで)審査は受験者が審査員の指定した技を演武する形式をとる。弐段以上の審査では合気道についての感想文・小論文の提出が求められる。五段以上の昇段は、六段以上の有段者が合気会本部に推薦し、本部の審議によって認められる。なお四・五段以下の者は「指導員」、六段以上の者は「師範」として指導者の資格を与えられる。 合気会から十段を与えられた師範としては、藤平光一、白田林二郎、大澤喜三郎がいる。白田と大澤は生前の合気道普及への功績を評価されて没後十段に列せられた。また引土道雄、阿部醒石のように合気会を介さず植芝盛平から直接十段を允可された師範もいる。
段級位制