合成洗剤(ごうせいせんざい)とは、石鹸などと同様、水と洗濯物の汚れの馴染みを良くすることで洗濯の汚れ落ちを良くするための界面活性剤であるが、石油や油脂を原料として化学合成されたもので、石鹸とは化学的な組成の異なる洗剤である。石鹸より水溶性に優れ、洗浄力が強く、石けんカスが発生しないため、洗濯機の普及とともに広まった。なお、日本では家庭用品品質表示法の適用対象となっており、雑貨工業品品質表示規程に定めがある[1]。 第一次世界大戦中のドイツで開発されたといわれている。兵士の制服を洗う需要が拡大する一方、油脂不足で石鹸の調達が難しくなったことから、石鹸の代用品となる物質が研究され、石油から作る合成洗剤が開発された。
歴史
環境への影響
かつての水環境問題点
発売当時の日本は下水道普及率が低く、廃水が下水処理されないまま河川に流れたため、分解しにくい成分の分枝鎖型アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム(ABS)が水中に長く残り、河川や湖沼で発泡がみられた。このABSは、プラスチックの一種であるABS樹脂とは何ら関係無い。
硬水のカルシウム分の影響を抑えるため、リン酸塩が含まれている洗剤(これは石鹸でも同じ)は、肥料として働き、池や河川の水の富栄養化、すなわち水草の過剰な繁殖による水質悪化の原因のひとつになった。
このため、環境負荷の少ない製品開発の研究が進められ、1970年(昭和45年)頃には、ABSはより環境負荷の少ない直鎖アルキルベンゼンスルホン酸ナトリウム(LAS)に置き換えられた。1980年(昭和55年)前後には、リン酸塩の替わりにゼオライトや酵素(プロテアーゼ、リパーゼ、アミラーゼ、セルラーゼなど)を使う技術が開発され、合成洗剤は無リン化された。なお、環境に排出されるリンのうち洗剤由来は10数%と低かったが、排出可能という点からの無リン化へ自主的に進んだ。無リン化後も従来の生産設備をそのまま使っていたため、微量のリン酸塩が検出されることがあった。このため、パッケージにはその旨の断り書きがあった。
石鹸に比べて自然環境での生分解性が悪く、水質汚濁の原因物質であると指摘されているため、合成洗剤よりも石鹸を使用することを奨励している自治体もある[2]。その一方で、下水処理施設が整備された環境では、石鹸と合成洗剤の環境負荷には大差がないとする論文もある。
1997年(平成9年)の東京都環境科学研究所による報告によれば、石鹸は全般的にみて最も毒性が低いと報告されている[3]。
1999年(平成11年)に公布されたPRTR法は、有害性の選定基準[4]に基づき、有害性があり環境を汚染している第1種指定化学物質を354種指定して、その扱いを管理し環境中に排出する量を毎年届出することを原則義務付けた。その354種には6種類の合成洗剤成分(LAS、AO、DAC、AE、OPE 、NPE)が含まれている。
LAS = 直鎖アルキルベンゼンスルホン酸及び塩
AO = N,N-ジメチルラウリルアミン=N-オキシド
DAC = ビス水素化牛脂ジメチルアンモニウムクロライド
AE = ポリオキシエチレンアルキルエーテル
OPE = ポリオキシエチレンオクチルフェニルエーテル
NPE = ポリオキシエチレンノニルフェニルエーテル
これらの成分の選定理由は水生生物の生態毒性の程度に基づいている。
これまで石鹸や複合洗剤を推奨してきたコープネットではデータを見直し、次のような見解を述べている[5]。
どんな洗剤でも環境中に直接排出されれば環境に負荷をあたえる。洗剤の界面活性剤は、種類によって「有機物汚濁」「生分解性」「水生生物への影響」などの環境影響評価では優れた面と劣る面を持っており、すべての面で優れた界面活性剤はない。
洗剤は環境中、下水道に排出される化学物質の中では量の多いものの一つ。どの界面活性剤を主成分とする洗剤でも、使用量を減らし排出量を減らすことが大切。また、洗濯廃水を含めて、生活排水を全体として減らす取り組みが重要。
一方、合成洗剤の追放運動を継続している農協・漁協・生協は、1981年(昭和56年)に協同組合石けん運動連絡会(協石連)を組織して、毎年4月にシャボン玉フォーラムを全国各地で開催し、毎年7月をシャボン玉月間として、現在も石鹸の利用を呼びかけている。 日本では電気洗濯機とその用品である衣料用合成洗剤の普及自体が、太平洋戦争後になってからであり、とりわけ1950年代頃までは、一部の上流家庭で使われるのみだった。このため、深刻な水質汚染に直結はしなかった。 しかし1960年代に入って高度成長期を迎え、一般家庭の生活様式も一変し、カラーテレビ、電気冷蔵庫とともに電気洗濯機が爆発的に普及した。しかし、日本では大都市である東京都や大阪府も含め、下水道の普及が他の先進国より遅れていたため、家庭から出る洗濯洗剤廃液が垂れ流された結果、各河川の下流域で山のような泡が発生するなど、洗濯洗剤による水質汚染が社会問題化した。 これが上記の合成洗剤追放運動に繋がったが、一方で全国送電網完遂などを背景に洗濯機と合成洗剤の需要は右肩上がりの状況で、全国的には社会問題となりつつも合成洗剤の需要は減るどころか急激に増える一方であった。当時、日本にとって高度経済成長は“敗戦国”から“一流国”に復活するための瀬戸際であり、大量消費生活が奨励されていた。政府や都道府県、自治体もこれらの販売を抑制してまで対策を講じようとはしなかった。 上記のような背景があったことから、むしろ、消費者を敵に回してはならぬということで、日本では合成洗剤の改良が世界に先駆けて、メーカーの技術開発努力として強力に推し進められていった。今日の合成洗剤の“常識”とされているこれらの点のほぼ全てが、日本で開発された技術である。特に力を入れていたのがライオン油脂[注 1]であった。
日本における変遷
合成洗剤の登場から社会問題化まで
環境負荷改善への取り組み
ライオン「ダッシュ」(第1期)
1967年(昭和42年)発売。主要となる界面活性剤を、生分解しにくいABSに代えて、よりたやすく生分解されるアルファオレフィンスルホン酸ナトリウム
ライオン「せせらぎ」
1973年(昭和48年)発売。助剤であるリン酸塩を廃したが、洗浄力の低下が著しく、評価が低かった。さらに同年に発生したオイルショックの影響で、合成洗剤自体がパニックによる買い占めから品薄となり、洗濯石鹸の緊急出荷で不足する需要分を補ったという背景により、発売から3ヶ月で販売中止となってしまった。
P&G「無リン全温度チアー
1977年(昭和52年)発売。1973年(昭和48年)に日本法人を設立して本格的に進出を始めたP&Gが最初に直面した問題が日本における合成洗剤忌避の声であった。そこでアメリカで開発された商品である。助剤としてリン系化合物に代えて水質汚濁を及ぼさないゼオライトを使った。世界で二例目の商品。しかしやはり洗浄力の低下は覆い難く、当初「アメリカ製の高性能洗剤」として日本市場に割って入った「チアー」は後述の「トップ」の登場後は後塵を拝することになる。
ライオン「無リントップ」
1980年(昭和55年)発売。リン系化合物に代わる助剤として酵素を使用した世界初の合成洗剤として発売された。