合唱のためのコンポジション(がっしょうのためのコンポジション、英:Composition for Chorus)は、日本の作曲家間宮芳生が1958年から作曲し続けている合唱曲のシリーズ。2018年現在、第17番まで存在するが、第8・9番のみ未出版となっている(第13番は下記の理由により入手困難)。 コンポジション (composition) とは「作品」、または(作曲家による)「構成」という意味を持つ。当初は日本の伝統音楽、特に民謡やわらべうたが作品構成にあたっての中心であったが、やがて間宮は日本国外の音楽に重きを置くようになった。 長年に亘る世界各地の伝承音楽の研究は、スカンジナビア半島のヨーイク
概要
番号の数え方としては主として、「合唱のためのコンポジション△」(△はローマ数字)と、「合唱のためのコンポジション第○番」(○はアラビア数字)の2通りがある。第4番(1963年)の頃まではナンバリングが行われていなかったようであるが、1965年、音楽之友社が「合唱名曲コレクション」の一部として第1番、第3番をそれぞれ出版した際に、前者が採用された。第2番は初演時「混声合唱と打楽器のためのコンポジション」というタイトルであり、番号は入っていなかったのだが、『音楽芸術』の付録に掲載された際(1966年)に、「合唱のためのコンポジションNo.2」と名づけられている(後年、同コレクションに収録されるにあたって「合唱のためのコンポジションII」となった)。一方、「第○番」という呼び方は、少なくとも「第6番」の初演演奏会までさかのぼることができる。全音楽譜出版社(第4番から第7番、第15番から第17番を刊行)やカワイ出版(第10番から第12番を刊行)もこの形式を採ったため、呼称の不統一が生じることとなった。ただし、作曲家自身は音楽之友社からの出版作品も含めて後者で呼称し続けている。この項では後者に統一する。
間宮は、「合唱のためのコンポジション」を歌うためのエチュードを目的として、「Etudes for Chorus」という曲集を作っている。本稿ではこれについても述べる。 曲の概説と背景、その影響 初演時は「混声合唱のためのコンポジション」として発表。1958年作曲。4楽章から成る無伴奏混声合唱曲だが、第1楽章のみがテノールとバリトンのソロを伴う無伴奏男声合唱曲である。日本民謡から抽出された囃子詞
個々の作品について
第1番
日本民謡に興味を持っていた間宮がこの分野の研究に本格的に取り組むようになったのは、民謡による新作を求めていた声楽家内田るり子との出会いによってであった。NHK音楽資料室に毎週通い、民謡のレコードを聴きながら曲を選び出す作業を行っていた。1955年から断続的に編曲され、後に「日本民謡集」第1集?第5集としてまとまることになる(なお、彼女の没後に第6集も生まれた)。
選曲と編曲を行いながら、間宮は独自に、民謡についての研究を始めた。その研究とは、日本民謡の詞の形や旋律構造、形式、および民謡に登場する囃子詞を調べ、分析、分類していく作業であった。1957年には『音楽芸術』(音楽之友社)上で「日本民謡におけるリズム」という論文を発表している(全音楽譜出版社の『日本民謡集』巻末に収録)。この民謡研究は中途で挫折してしまうのだが、囃子詞の面白さに惹かれた彼は、東京混声合唱団(以下、「東混」と略称)の委嘱を機に民謡の編曲ではなく、囃子詞を素材とする合唱曲を作るという、当時としては画期的であったアイデアにたどりつく。彼にとっての初めての合唱作品はこうして生まれた。
初演は「面白すぎる」という非難を受けるほどの成功をおさめ、東混は以後この曲を「持ち歌」として数多くの再演を重ねていくことになる。アマチュア合唱団もコンクールや定期演奏会で進んで採り上げ、東混委嘱作品としては最も人気が高い作品となった。
この作品の、作曲家への影響は限定的なものであった(囃子詞を素材にする作品が乱作される状況にはならなかった。一方、民謡編曲は、日本の合唱界のそれへの需要が高かったことから逆の結果となった)が、この作品の数年後に生まれた外山雄三の「歴落」は数少ない影響例と言えるだろう。
内容
第1楽章は江戸と新潟の木遣による。ア行、ハ行、ヤ行などの開放的な響きのハヤシコトバがほとんどを占める。テノールパートの合唱(東混が歌唱したCD――ビクターから発売――ではあえてヘテロフォニー風にリズムをずらしているが、実際にはユニゾン)から始まり、ソロとコーラス、あるいはテノール、バリトン各ソロの掛け合いによって進行する。この楽章もそうであるが、「合唱のためのコンポジション第1番」においては全体的にテノールソロの比重がバリトンソロよりも高く(女声ソロは登場しない)、彼の出来不出来が曲の成功に大きく関わる。
第2楽章は口唱歌(くちしょうが)(太鼓)や、青森県の八戸地方に伝わる「代掻き唄」が素材の中心であり、他に「田の草取唄」などが引用されている。前楽章の母音重視とは打って変わって、ここでは子音、特に濁音が多くを占め、はっきりとした拍節が特徴となっている。ここでもテノールソロが登場する。
第3楽章は子守唄やわらべうたのスタイルをとった、緩―急―緩の三部構成。「急」は東北地方のわらべうた「てでぼこ」などから引用されたものであり、女声のみで歌われる。ナ行、ラ行の音が中心。
第4楽章は神楽の形式で、再び口唱歌を伴う。今度は太鼓だけでなく鼓(つづみ)や笛の口真似も混じって色彩豊かになり、さらにテノールソロが花を添える。Prestoにおいては全員が口唱歌を展開しながら、ソロが不確定な音程で裏拍を打つ(作曲家が多くの作品に取り入れたジャズの影響はここでも明らかである)。最後はテノールソロもしくは指揮者によるシュプレヒシュティンメで幕を閉じる。なお最後の句は、東京都小河内の鹿島踊の「三番叟」からの引用である。
初演は岩城宏之が指揮。この作品により間宮は第13回文化庁芸術祭奨励賞、毎日音楽賞を受賞した。2番と合わせて音楽之友社より出版されている。