合同電気
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合同電気株式会社
(旧・三重合同電気株式会社)

種類株式会社
略称合電
本社所在地 日本
三重県津市南堀端津2130番地
設立1922年(大正11年)5月1日[1]
解散1937年(昭和12年)5月29日[2]
東邦電力と合併し解散)
業種電気
事業内容電気供給事業ガス供給事業鉄軌道事業
歴代社長川喜田久太夫(1922 - 1924年)
太田光熈(1924 - 1937年)
松永安左エ門(会長・1934 - 1936年)
公称資本金7203万4950円
払込資本金6123万4950円
株式数旧株:72万699株(額面50円払込済)
新株:72万株(35円払込)
総資産1億3070万9036円(未払込資本金除く)
収入1334万7297円
支出1077万8676円
純利益256万8621円
配当率年率7.0%
株主数8742人
主要株主東邦電力 (49.8%)、京阪電気鉄道 (1.0%)、東邦証券保有 (0.8%)
決算期3月末・9月末(年2回)
特記事項:資本金以下は1936年9月期決算時点[3][4]
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合同電気株式会社(ごうどうでんき かぶしきがいしゃ)は、大正から昭和戦前期にかけて存在した日本の電力会社である。三重県津市に本社を置く会社で、設立時は地名を付して三重合同電気株式会社(みえごうどうでんき)と称した。

1922年(大正11年)、三重県下の電気事業者3社を統合して発足。その後も県の内外を問わず積極的に事業統合を進め、最終的に供給区域を三重県・奈良県京都府滋賀県和歌山県兵庫県徳島県の7府県に広げた。また電気供給事業のほかにも、一部の都市で電気鉄軌道を運営し、都市ガス供給事業を経営していた。

1930年(昭和5年)に大手電力会社東邦電力の傘下に入り、1937年(昭和12年)に同社へ合併されて解散した。
概要三重合同電気時代の広告(1926年)

合同電気(旧社名:三重合同電気)は、明治期開業の三重県下電気事業者3社が新設合併により合同し、1922年(大正11年)5月に成立した電気事業者である。合同に参加したのは津電灯松阪電気伊勢電気鉄道の3社で、三重合同電気発足後も巌倉水電など県下の事業者統合を進めた。さらに1923年(大正12年)には徳島水力電気を合併し、徳島県および淡路島兵庫県)にも進出した。

三重県外での事業拡大はその後も続き、1928年(昭和3年)に濃飛電気を合併し岐阜県へと進出。1930年(昭和5年)には東邦電力から同社四日市支店の事業を譲り受けて三重県の大部分を供給区域に収めるとともに奈良支店の事業を継承し、さらには京阪電気鉄道から同社和歌山支店の事業も引き継いだ。これらにより供給区域は最終的に三重県・奈良県京都府滋賀県和歌山県・兵庫県・徳島県の7府県に及んだ(岐阜県には発電所のみ立地)。東邦電力から事業を継承した際に現物出資の形をとったため、以降は東邦電力が大株主となっている。また事業継承が決定した1930年1月、社名から地名を外して合同電気へと改称した。

電気供給事業以外の兼営事業としては、都市ガス供給事業、電気軌道・鉄道事業、バス事業が挙げられる。ガス供給事業は津電灯や徳島水力電気から継承したもので、一部を1930年に系列の合同ガスへと移管している。電気軌道事業は三重県と和歌山県で営んでおり、前者は伊勢電気鉄道、後者は京阪電気鉄道からそれぞれ継承した。バス事業も両社から継承し、1932年(昭和7年)まで直営であった。電気鉄道事業は三重県の朝熊登山鉄道を1928年に合併したことで始まった。ただしこれらの兼営事業が収益に占める割合は小さく、1936年9月期の決算では総収入の94%が電気供給事業の収益である[注釈 1]

1937年(昭和12年)3月、大手電力会社で大株主であった東邦電力に合併され合同電気は消滅した。その東邦電力も1942年(昭和17年)に解散しており、合同電気が供給していた地域はその後の再編を経て1951年(昭和26年)以降中部電力関西電力四国電力の営業区域の一部となっている。また兼営事業はガス事業が東邦ガス(旧合同ガス)および四国ガスに継承されているが、運営していた鉄軌道路線はすべて現存しない。
設立の経緯と三重県下の電気事業再編

以下、沿革のうち設立の経緯と設立後の三重県内(一部岐阜県)における電気事業再編の進展について記述する。
三重県下の電気事業創業

合同電気、旧称三重合同電気は、社名が示すように三重県の電力会社が合同して発足した企業である。1922年(大正11年)5月の会社設立時、合同に参加したのは津電灯株式会社松阪電気株式会社伊勢電気鉄道株式会社の3社であった。三重県下の主要電気事業者供給区域図(1921年)

三重県にて電気の供給が開始されたのは、中部地方最初の電気事業者名古屋電灯1889年(明治22年)に開業してから8年が経過した1897年(明治30年)のことである。まず県庁所在地の津市にて、4月から津電灯(初代)の手により開始された[5]。次いで8月に度会郡宇治山田町(宇治山田市を経て現・伊勢市)でも宮川電気(1902年伊勢電気鉄道へ改称)が開業し供給が始まる[6]。津電灯は地元の川喜田四郎兵衛らにより、宮川電気は大阪の実業家や地元の太田小三郎らによって、いずれも前年の1896年(明治29年)に設立されていた[5][7]。さらに1897年9月、県内3番目の電気事業者として四日市市にて四日市電灯(後の北勢電気)が開業している[8]

1904年(明治37年)2月、阿山郡上野町(上野市を経て現・伊賀市)の田中善助により水力発電所が建設され、上野町にて電気の供給が始まる(翌年法人化され巌倉水電が発足)[9][10]。次いで田中は名張川支流の青蓮寺川に水力発電所を設置するべく三重共同電気を設立[11]、火力発電を電源としていた津電灯に対し1910年(明治43年)より電力の供給を開始する[12]。この三重共同電気は開業後間もなく津電灯を吸収し、翌1911年(明治44年)に津電灯(2代目)に改称した[12]。また飯南郡松阪町(現・松阪市)では、1903年(明治36年)に、実業家の才賀藤吉や地元の安保庸三らによって松阪水力電気(1921年松阪電気に改称)が発足[13][14]櫛田川に水力発電所を設置し、1906年10月より供給を開始した[14]

松阪電気以降も三重県内では相次いで電気事業者が開業し、1921年度時点では計12事業者を数えたが、この中で1万灯以上の電灯を供給するのは上記5社、津電灯・伊勢電気鉄道・北勢電気・巌倉水電・松阪電気だけであった[15]


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