各務原鉄道
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各務原線

9500系ワンマン車による三柿野行き普通列車
(各務原市役所前駅から市民公園前駅を望む)
概要
系統■犬山方面
起終点起点:名鉄岐阜駅
終点:新鵜沼駅
駅数18駅
路線記号KG
ウェブサイト各務原線
運営
開業1926年1月21日 (1926-01-21)
最終延伸1928年12月28日 (1928-12-28)
所有者各務原鉄道→名古屋鉄道
路線諸元
路線総延長17.6 km (10.9 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化直流1,500 V,
架空電車線方式
運行速度最高100km/h[1]

路線図


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各務原線(かかみがはらせん)は、岐阜県岐阜市名鉄岐阜駅から岐阜県各務原市新鵜沼駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線

本項では、かつてこの路線を運営していた各務原鉄道(名岐鉄道に合併)についても述べる。
概要

岐阜市・各務原市間を結ぶ通勤・通学路線で、全線で東海旅客鉄道(JR東海)高山本線と並走している。岐阜側では名古屋本線、新鵜沼側では犬山線と接続し、名古屋方面との連絡も担う。竹鼻線羽島線とともに名鉄としては数少ない岐阜県内のみで完結する路線となっている[注釈 1]

全体に平坦であるが、羽場駅から鵜沼宿駅にかけて、33.3パーミルという当線の最急勾配区間が存在する。この駅間が木曽川河岸段丘である各務原台地の端にあたるためで、新鵜沼方面に向かって下り勾配となっている。

各務原市内には航空自衛隊岐阜基地があるが、太平洋戦争までは陸軍各務原飛行場などが置かれ、軍事路線として基地の引き込み線も設置されていた[2]

途中駅は新那加駅を除いて無人駅である。名鉄岐阜駅 - 田神駅間には田神線を経由して美濃町線の路面電車が乗り入れていたが、2005年4月1日に田神線・美濃町線が廃止されたため、両線からの直通運転もなくなった[注釈 2]

運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。枇杷島分岐点以東から各務原線内の各駅までの運賃は名鉄岐阜駅経由でも犬山駅経由でもほぼ同じ距離となる三柿野駅付近で最も高くなる。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが利用できる。

なお、『鉄道要覧』による起点は名鉄岐阜駅だが、列車運行および旅客案内、列車番号の設定においては、新鵜沼駅から名鉄岐阜駅へ向かう列車が下り、逆方向が上りとなっている。
路線データ

路線距離(
営業キロ):17.6km

軌間:1067mm

駅数:18駅(起終点駅含む)

複線区間:全線

電化区間:全線電化(直流1500V)

閉塞方式:自動閉塞式[1]

保安装置M式ATS[1]

最高速度:100 km/h[1][注釈 3]

最小曲線半径:160m(新鵜沼駅構内)

歴史

各務原鉄道
種類株式会社
本社所在地 日本
岐阜県稲葉郡那加村大字西市場外六大字入会字各務原165[3]
設立1924年(大正13年)4月13日[3]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業、バス事業、遊園設備[3]
代表者社長 跡田直一[3]
資本金1,000,000円(払込額)[3]
特記事項:上記データは1935年(昭和10年)[注釈 4]現在[3]
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各務原線の前身は各務原鉄道(各鉄)である。

大正中期、地方鉄道補助法の改正と大戦景気の影響で鉄道起業の熱が高まっていた頃、各務原に陸軍飛行場(現在の岐阜基地)が置かれたことに目を付けた東京・横浜の有志らが岐阜 - 鵜沼間の鉄道敷設を構想し、沿線の有力者や美濃電気軌道(美濃電)、名古屋鉄道(旧名鉄)に計画参加を募った[5]。その後、蘇原銀行頭取の平光圓四郎および同行兼美濃電監査役の中島淳が中心となって鉄道敷設免許を申請し、1923年(大正12年)6月に稲葉郡北長森村 - 鵜沼村間の免許を取得した(同年12月には美濃電との連絡のため起点を岐阜市内に変更)[5]。翌1924年(大正13年)4月13日に各務原鉄道株式会社を設立(社長:中島淳、資本金:100万円)[5]。株式の約半分を美濃電が引き受け[5]、旧名鉄は3,000株を保有した[6]

鉄路は1926年(大正15年)1月に開業した安良田駅 - 補給部前駅間の開業を皮切りに東に延伸し、1927年(昭和2年)9月には東鵜沼駅に到達。用地買収の遅れから後回しとなっていた長住町駅 - 安良田駅間も1928年(昭和3年)12月に開業し、予定された区間が全通した[5]。鵜沼側では同社線開業に先立ち旧名鉄が木曽川を越えて新鵜沼駅を開業しており[7]、西は美濃電、東は旧名鉄と連絡するようになった。

開業後の収入は戦後恐慌の影響もあって終始不調で、1928年(昭和3年)5月からは美濃電に運営を委託している[8]。増収策として旧名鉄との連絡運輸を行ったり、苧ヶ瀬駅東側に各務原球場を建設したりしたが、業績は伸び悩んだ(球場は後に那加村からの用地提供により建設された各務原運動場に発展する)[8]

1930年(昭和5年)に親会社の美濃電が旧名鉄と合併して名岐鉄道となると、両社が保有した各務原鉄道の株は合わせて13,800株にもなり、運営委託もあって各務原鉄道線は名岐鉄道の路線と同然となった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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