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各務原市立各務小学校
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度25分4.68秒 東経136度54分2.98秒 / 北緯35.4179667度 東経136.9008278度 / 35.4179667; 136.9008278座標: 北緯35度25分4.68秒 東経136度54分2.98秒 / 北緯35.4179667度 東経136.9008278度 / 35.4179667; 136.9008278
過去の名称三省義学校
各務小学校
各務尋常小学校
各務尋常高等小学校
各務国民学校
各務村立各務小学校
鵜沼町立各務小学校
国公私立の別公立学校
設置者各務原市
設立年月日1873年
共学・別学男女共学
学期2学期制
学校コードB121221300116
所在地〒509-0104
岐阜県各務原市各務おがせ町四丁目7番地
外部リンク ⇒公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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各務原市立各務小学校(かかみがはらしりつ かかみしょうがっこう)は、岐阜県各務原市各務おがせ町四丁目にある公立小学校。
概要
各務原市鵜沼地区の小学校の一つであり、旧・稲葉郡各務村の小学校である。
通学区域(自治会名による)は、おがせ町第1、西北島、南北島、宮之前、おがせ町第3、おがせ町第4、おがせ町第5、おがせ町城之屋敷、東組北、山の前(1丁目を除く)[注釈 1]、、須衛第1、須衛第2、須衛第3、須衛会本、各務西組第2、船山町東、川崎団地であり[1]、公立中学校の場合の進学先は各務原市立鵜沼中学校である[2]。
沿革
1873年(明治6年) - 各務郡各務村、須衛村、野村(現在の三柿野)の3ヶ村が共同で三省義学校を創立。慈眼寺を仮校舎とした。
1874年(明治7年) - 三滝新田村、柿沢村、野村の3ヶ村が合併し、三柿野村となる。三柿野村全域の生徒も三省義学校に編入される。
1876年(明治9年) - 村国神社境内の村国座に仮移転する。
1877年(明治10年) - 須衛村が須衛小学校を開設し、三省義学校から分離する。三省義学校は各務小学校に改称する。
1881年(明治14年) - 各務小学校は各務尋常小学校に改称する。
1882年(明治15年) - 各務尋常小学校を現在地に移転する。校舎は可児郡の廃校舎を購入し移築したものであったという。
明治17年頃の各務尋常小学校
1884年(明治17年) - 三柿野村の生徒は、古市場村の和親学校(現各務原市立蘇原第一小学校)に編入され、各務尋常小学校は各務村の生徒のみとなる。
1886年(明治19年) - 須衛小学校は須衛簡易小学校に改称する。
1891年(明治24年) - 濃尾地震により、各務尋常小学校は全壊する。村国神社を仮校舎にする。
1893年(明治26年) - 新校舎に移転する。
1896年(明治29年) - 各務郡が厚見郡、方県郡の一部が合併し、稲葉郡となる。
1897年(明治30年) - 稲葉郡各務村に須衛村が編入される。須衛簡易小学校は各務尋常小学校須衛分教場となる。
1898年(明治31年) - 校舎を増築する。須衛分教場を廃止する。
1910年(明治43年) - 高等科を設置し、各務尋常高等小学校に改称する。
1941年(昭和16年) - 各務国民学校に改称する。
1947年(昭和22年) - 各務村立各務小学校に改称する。
1955年(昭和30年) - 各務村は稲葉郡鵜沼町に編入される。