司馬 ?(しば ほう、永康元年(300年)- 建武元年10月29日[1](317年12月18日))は、中国の晋の皇族。琅邪孝王。字は道成。 琅邪王司馬睿と荀氏(豫章郡君)のあいだの次男として生まれた。母の荀氏の身分が低かったため、父の司馬睿の命により司馬?は虞妃に養育された。はじめ叔父の司馬渾の後を嗣いで長楽亭侯となった。後に宣城郡公に徙封され、後将軍に任じられた。司馬睿は晋王となると、長男の司馬紹を差し置いて、次男の司馬?を太子を立てようと考えていた。司馬睿が王導に相談すると、王導は年長を立てるよう強く勧めたため、司馬紹が太子に立てられることとなった。
経歴
10月、死去した。享年は18。車騎大将軍の位を贈られ、侍中の位を加えられた。穆帝のとき、さらに太保の位を贈られた。
妻子
妻
山氏(琅邪王妃)
子
司馬安国(琅邪哀王、早逝)
脚注^ 『晋書』巻6, 元帝紀 建武元年十月丁未条による。
伝記資料
『晋書』巻64 列伝第34