司馬?
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司馬?
西晋
琅邪王・大将軍
出生太和元年(227年
河内郡温県孝敬里
死去太康4年5月1日283年6月12日
?音S?m? Zhou
子将
諡号武王
主君曹髦曹奐司馬炎
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司馬 ?(しば ちゅう)は、中国三国時代から西晋にかけての武将は子将。河内郡温県孝敬里の人[1]司馬懿の第4子。生母は伏貴妃。司馬亮の同母弟。司馬師司馬昭の異母弟。司馬京司馬駿の同母兄。司馬?司馬?司馬倫の異母兄。妻は諸葛誕の娘(諸葛太妃)。諡号は武王。
生涯

若年から才能と名声を有し、正始年間初めに南安亭侯に封じられた。官歴は寧朔将軍から始まり、?城を監督し、治績を高く評価された。

甘露5年(260年)5月、魏の皇帝曹髦が司馬昭排斥のために挙兵した(甘露の変)。屯騎校尉の官にあった司馬?はこれを迎撃したが、曹髦の側近に一喝されると、軍勢は離散してしまった[2]

散騎常侍から、右将軍・監?州諸軍事・?州刺史を歴任。咸熙元年(264年[3]に五等爵が置かれると、南皮伯・征虜将軍・仮節となった。

泰始元年(265年)12月[4]司馬炎が晋の皇帝として即位すると東莞郡王に封じられ、食邑10600戸を領した。泰始4年(268年)2月[4]には尚書右僕射・撫軍将軍に遷った。

泰始5年(269年)2月[4]、地方に出て鎮東大将軍・仮節・都督徐州諸軍事となる。下?郡を統御し、将兵に最大限の力を発揮させ、から恐れられた。また、『晋書石苞伝によれば、都督揚州諸軍事の石苞が謀反の疑いで都に召還された時、下?から寿春へ向かい、反乱を警戒する任に当たった[5]

咸寧3年(277年)8月[4]、開府儀同三司・琅邪王となった。

咸寧5年(279年)11月[4]、呉討伐のため兵数万を率い、?中へ進軍した。呉帝孫皓は降伏の際、司馬?の元へ書簡と印綬を送った(呉の滅亡)。詔勅によれば「長史の王恒を進軍させて長江を渡らせ、賊の辺境軍を破った。都督の蔡機を捕縛し、殺害・降伏させた者は5万余を数えた」等の功績を挙げた。位は大将軍[6]にまで昇ったが驕ることなく恭倹に努めたため、配下は力を尽くし、民衆も心服した。

太康4年(283年)5月1日、57歳で死去。生母の陵に葬られること、4人の子に所領を分割して相続させることを生前に願い、許された。武王と諡され、嫡子の司馬覲が後を継いだ。

司馬?自身は晋朝に忠実であったが、早世した司馬覲以外の子の司馬澹・司馬?・司馬?は八王の乱に関与し、晋朝を乱す一因を成した。司馬?は永安元年(304年)に司馬穎に殺害され、司馬澹は永嘉5年(311年)の石勒の攻撃により死亡した。司馬覲の子で琅邪国を継承していた司馬睿は江南に逃れ、東晋を建国して帝位に即いた(元帝)。
宗室【西晋王朝系図】(編集)

晋書』本紀巻1?10、列伝巻7・8・29・44・68・69による

太字は皇帝(追贈含む)、数字は即位順。

灰網掛けは八王の乱にて殺害された人物。

                舞陽侯
司馬防

                                     
                           
        (追)宣帝
司馬懿             安平王
司馬孚     東武城侯
司馬馗

                                        
                          
(追)景帝
司馬師 (追)文帝
司馬昭 汝南王
司馬亮 琅邪王
司馬? 梁王
司馬? 趙王
司馬倫 太原王
司馬?     高密王
司馬泰

                                               
                
斉王
司馬攸 (1)武帝
司馬炎     琅邪王
司馬覲         河間王
司馬? 東海王
司馬越 新蔡王
司馬騰 南陽王
司馬模

                                           
                              
斉王
司馬冏 (2)恵帝
司馬衷 楚王
司馬? 淮南王
司馬允 長沙王
司馬乂 成都王
司馬穎 (3)懐帝
司馬熾 呉王
司馬晏     南陽王
司馬保

                                 

    愍懐太子
司馬?                     (4)愍帝
司馬? 




諸葛太妃(
諸葛誕の娘)



琅邪恭王
司馬覲

武陵壮王 司馬澹

東安王 司馬?

淮陵元王 司馬?

出典

房玄齢等『晋書』巻38 琅邪王?伝

脚注^ 『晋書』高祖宣帝紀記載、父の司馬懿の本籍地。
^ 陳寿三国志』魏書 高貴郷公紀注『漢晋春秋
^ 『晋書』太祖文帝紀
^ a b c d e 『晋書』世祖武帝紀


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