号泣_(お笑いコンビ)
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メンバー赤岡典明
島田秀平
結成年1996年
2020年(再結成)
解散年2008年
事務所ホリプロコム
活動時期1996年3月 - 2008年6月2日
2020年7月23日 -
出会い長野県公文式教室(4歳当時)
旧コンビ名ダンククラッチ
現在の活動状況テレビ・ライブ など
芸種漫才コント
ネタ作成者赤岡典明
過去の代表番組爆笑オンエアバトル
続!ボキャブラ天国
クリック!
エンタの神様
アイドル☆レボリューション
同期江戸むらさき
角田晃広東京03
西田幸治笑い飯
品川庄司
北陽
ロザン
ライセンスなど
公式サイト ⇒公式プロフィール
受賞歴
1998年 ホリプロお笑いライブ芸腕グランプリ優勝
2001年 ホリプロお笑いライブ芸腕グランプリ優勝
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号泣(ごうきゅう)は、ホリプロコムに所属する日本のお笑いコンビ1996年1月結成。2008年6月に一度解散するも、2020年7月23日に再結成。
メンバー

赤岡 典明(あかおか のりあき、 (1977-07-22)
1977年7月22日(46歳)[1] -)ボケ・ネタ作り担当。長野県塩尻市出身(千曲市育ち)、長野県屋代高等学校卒業。血液型O型[1]。一度コンビを解散後は、構成・脚本家として活動していた。

島田 秀平(しまだ しゅうへい、 (1977-12-05) 1977年12月5日(46歳) -)ツッコミ担当。長野県長野市出身、佐久長聖高等学校慶應義塾大学文学部通信教育課程卒業。血液型O型。怪談話をする機会が多く、さらには手相にも精通し『菅野鈴子(原宿の母)』に弟子入り。「代々木の甥」を襲名している。一度コンビを解散後は、ピン芸人として活動していた。詳細は「島田秀平」を参照

来歴

4歳の時、公文式教室で出会う。長野市立通明小学校、長野市立篠ノ井東中学校の同級生。2人して長野県屋代高等学校を受験するも、島田だけ不合格となった。その後は別々の高校に通っていたが、赤岡の誘いで屋代高校の文化祭においてコンビ「ダンククラッチ」として漫才を披露し優勝を果たす。

1996年1月、コンビを正式に組み3月からデビュー。コンビ名は略されたくないという意図と、テレビ欄によく載っている言葉を選んで売れているような感じを与えようと名付けた。また赤岡がドッキリを仕掛けようと、島田の椅子に画鋲を仕掛けたところそれに座ってしまった島田があまりの痛さに「号泣」したというエピソードがあり、それがコンビ名の由来に一役買っているとの説もあった。赤岡曰く「検索しづらいので、今だったら絶対に号泣というコンビ名にはしない」。事務所の先輩である和田アキ子から「幼馴染で仲が良いから」という理由で「ベストフレンズ」というコンビ名を提案されていた[2]

デビュー当初はホリプロ所属。2003年1月、旧M2カンパニーを前身とする子会社・ホリプロコムの発足により同社に移籍。

1998年、『進ぬ!電波少年』の人気コーナー「電波少年的懸賞生活」の企画オーディション(内容はくじ引き)にも参加していた[3]

2人は浅草の狭いアパートで共同生活をしていた。仕事がろくに来ないなど不遇の時代は長らく続き公共料金も払えず電気やガス、水道といったライフラインはすべて止められていたほどアルバイトでどうにか食い繋いでいる状況でもあった。

爆笑オンエアバトル』では番組内で最多出演記録を持っている。しかしチャンピオン大会には第1回から第3回まで3年連続で出場しているものの、いずれも大苦戦し通常回以上に成績が悪い傾向にあった(後述)。「ホリプロお笑いライブ芸腕グランプリ2」ではアリtoキリギリス坂道コロコロ(当時)らを抑え優勝、「芸腕グランプリ2001」でも敗者復活からの優勝を果たした。

M-1グランプリには第1回の2001年から、当時のルールであった結成10年目のラストイヤーとなる2006年まで挑戦。2001年、2003年、2005年では準決勝まで進出した。

2008年6月2日を以て解散。解散理由について島田は「M-1グランプリの決勝に進出できなかったこと」を挙げている[4]。両者とも30歳になる頃にはコンビが結成して10年となりM-1グランプリへ出られなくなることからそれを区切りと考えており、赤岡が島田に「他の仕事がしたい」と持ちかけて解散が決まった[2]。それについて島田は、赤岡から「そろそろ言われるな」と思っており「幼馴染だからよくわかる」などと語っている。解散後の島田はピンとして活動を続け、赤岡は構成・脚本家へ転身していた。

解散して以降2人は一切会っていなかったが[5]2020年7月23日倉本美津留YouTube生配信にて12年振りに漫才を披露。その際にM-1へのエントリーを表明し、正式な再結成が決定した[6]。M-1グランプリは2015年以降エントリー要件を結成15年に延長しており、また「プロとしての活動休止期間は結成年数から除く」規定も存在するためエントリーが可能となった[7]。過去に準決勝まで進出していたためシード権を獲得している[7]
芸風

初期は漫才が中心で、後に言葉遊びネタ(回文など)が主流になった。そのためか「お笑い界の国語辞典」の異名を取る。たまに音響を使ったコントも演じる。
賞レース

2001年 M-1グランプリ 準決勝進出

2002年 M-1グランプリ 3回戦進出

2003年 M-1グランプリ 準決勝進出

2004年 M-1グランプリ 3回戦進出

2005年 M-1グランプリ 準決勝進出

2006年 M-1グランプリ 3回戦進出

2020年
M-1グランプリ 準々決勝進出[7]

2021年 M-1グランプリ 2回戦進出[7]

出演島田単独の活動については「島田秀平」を参照
テレビ
レギュラー


続!ボキャブラ天国フジテレビ、 - 1999年3月)2003年1月の特番にも出演

クリック!日本テレビ、- 2005年9月)

情報発信塾 アイドル☆レボリューション(tvk、2005年11月 - 2006年1月)

レギュラー以外


爆笑オンエアバトルNHK総合)戦績20勝12敗 最高507KB ゴールドバトラー認定


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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