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地名の「左右(そう)」については「越前町」をご覧ください。

「左」はこの項目へ転送されています。

振付師集団については「Hidali」をご覧ください。

イラストレーターについては「左 (イラストレーター)」をご覧ください。

姓の一つについては「左 (姓)」をご覧ください。

.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィクショナリーに関連の辞書項目があります。左右、ひだり、みぎ、左、右 この写真の場合、6と12を結ぶ直線を基準に取ると、1, 2, 3, 4, 5がある方向が右、7, 8, 9, 10, 11がある方向が左となる。7と11を結ぶ直線を基準にとれば、6と12は右側にあることになる。

左右(さゆう、ひだりみぎ)とは、六方位の名称の一つで、を指す方位の総称。絶対的な方向ではなく、おのおのの観測者にとって、(同時に下)と(同時に後)の方向が定まった時に初めて、その観測者にとっての左と右の方向が決まる。前後、上下とは直角に交差し、左と右は互いに正反対である。

たとえば、アナログ時計の文字盤に向かって、(中心を基準とし)7?11 がある方向を左(ひだり)、1?5 がある方向を右(みぎ)という。あるいはを下、を上とした時、の方向が右、西の方向が左となる。

左右の概念は、鏡像関係にある二つの存在を区別するためにも援用される。
左右の定義

どちらが右で他方が左となるかは、人間の取り決めによってのみ区別できる。外見的には人体はほぼ左右相称だが、実際には肝臓の位置や利き手などの非相称性があり、社会として、つまり多数派・少数派の違いとしてそれが確定できるため、左右の区別は一般的通念として世界で広く使われるが、それすら往々にして混乱を生じる(「どっちだっけ?」「お箸を持つ方だよ」というよくあるやり取りがそれを示している)。

人間にとって、上下は重力の方向を、前後は自己の進行方向を示すというようにはっきりと異なる意味を持つのに対して、左右にはそのような判然とした価値の差が存在しないために、混乱が生じやすい。左右という概念・単語を持たない民族・言語もある。
幾何学

左右は幾何学からは定義できない。互いに直角に交わる3つの軸は、任意に前後の軸、上下の軸、左右の軸と定められる。(または)および(または)が定まったときに残る方が左右の軸であるが、どちらが右でどちらが左であるかは、右と左をそれぞれ図で示したり、何か実物の例を使うことでしか説明できない。

なお、これは幾何学において左右が特別な訳ではない。たとえば直交する3つの軸に、左右、上下をこの順に定めても、どちらが前でどちらが後かは、純粋に幾何学的には任意性が残る。

たとえばすべての辺の長さの異なる不等辺三角形は三角形の頂点ABCを右回りに振った場合と左回りに振った場合の二通りが書け、両者は同一平面上ではどのようにしても重ね合わすことができない。しかし、ユークリッド幾何学では三辺の長さが等しい三角形は合同であるとして、幾何学的にはこの二つを区別しない。

このように、平面図形では形としては同じでも、平面上ではどのように移動しても絶対に重ね合わせられない形が存在し、それはいわゆる鏡像である。ただし、我々の空間の中ではこのような図形は持ち上げて裏返せば重ね合わせられるので、これらを合同と見なす。それに対して、空間図形の場合、我々の空間の中ではこれを引っ繰り返すことはできないから、絶対に重ね合わせられず、これらを区別せざるを得ない。それに対する名に右と左を使う場合もある。これについては鏡像の節も参照のこと。
鏡像「鏡像」、「時計回り・反時計回り」、および「右巻き・左巻き」も参照

人体がほぼ左右対称なことから、左右の概念は、様々な幾何学的な鏡像関係を区別するために持ち出される。たとえば回転の方向を指す「右回り」や螺旋などの「右巻き」である。これは日常会話だけではなく、数学における右手系や化学におけるキラル、物理学におけるヘリシティなど、科学の様々な分野においてもそうである。

しかし純粋に幾何学的には、左右は本来六方の一つであり、その立場からすると、これらの左右は援用である。たとえば螺旋において、「右巻き」があるからと言って、「上巻き」や「後巻き」といった概念があるかというと、そうではない。従って、鏡像関係にある二つの螺旋のうち、片方が絶対的に「右巻き」という訳ではない。しばしば右ねじと同じ螺旋を「右巻き」と呼ぶが、それは人為的な約束事である。

一方で、巻き貝では、その巻く方向は、身体の左右と密接に結びついている。#軟体動物の場合で後述する。
螺旋

分野によっては、どちらの螺旋が「右巻き」と呼ぶ慣例であるかが決まっている。

つる植物では、両方の定義が使われており、混乱している。

学術用語集では、いくつかの生物関係の分野で、巻き貝における「右巻き」「左巻き」と同じ定義を用いている。

ねじについては、右手を握り、親指を立てたときに四本の指先方向に回すと親指側にねじ込めるものを「右ねじ」という。

向かって / 背にして

たとえば人間が向き合った状態では、自分の右手側は相手の左手側になるなど、左右は誰から見たかに依る。そこで、ある方向を定め、そちらを向いた時の左右で指定する方法がある。これを向かってという。「?に向かって右側」などと言う。似たものに背にしてという言い方もある。用例は以下の通り。

話し手の北側にコンビニ、西側に書店、東側にレストランがある場合

コンビニに向かって右にレストラン、左に書店がある

コンビニを背にして右に書店、左にレストランがある


自然現象

自然現象においても、しばしば左右対称性、正確には鏡像対称性が見られる。つまり、に映った像と実際の姿を区別することはできない。ところが、いくつかの重要な事例において、左右が対称でない場合、あるいは左右対称であっても同一でないと見なさねばならない場合がある。しかしながら、それにより左右を絶対的に定義できるかと言うと、#左右の定義と宇宙人の節で後述する通り単純ではない。


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