史進道
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史 進道(し しんどう、1179年 - 1243年)は、モンゴル帝国に仕えた漢人軍閥の一人である。は道遠。析津府永清県の出身。祖父は史倫。父は史成珪。兄に史秉直がいる。
概要

史進道の祖先はかつて唐朝に仕え大官を輩出していたが、唐の滅亡後衰退して中央政界から離れ、農村の名家となった家系であった[1]。史進道の祖父の史倫は末子でありながら偶然金塊を発見したことで裕福になり、史倫の家系が史家の総領的地位についた[2]。史倫の息子の史成珪には史秉直と史進道という息子がおり、総領は史秉直であったものの、史進道も目上の者のみならず目下の者にも礼を尽くす高潔な人物として知られていたという[3]

1211年辛未)、金朝への侵攻を開始したモンゴル軍は野狐嶺の戦いで金軍主力を粉砕し、1213年癸酉)11月には史氏一族の住まう永清県方面に迫った。史進道は兄の史秉直に「これ(モンゴルの侵攻)は天威である。人力でどうにかできるものではない」と述べ、また母に相談したところ決して天道に悖ることなく汝らの身を保つよう議論せよと言われたという。そこで史進道らが里中の者達に呼びかけたところ、大家族のみならず日頃より史家より施しを受けていた貧民たちも史家に従い、モンゴルに投降することを決めた。史進道らは近くに駐屯していたムカリの軍団に投降したところ、ムカリは史進道の人品が不凡なことを見抜き、配下に加えたという[4]

1214年甲戌)3月、史進道はモンゴル軍本隊の中都包囲に加わり、モンゴルと金朝の間で和約が結ばれると包囲を解きムカリ軍とともに北方に進軍した。同年8月には一族の史秉直・史天瑞・史懐徳・史天祥らとともに北京を包囲し、翌年3月までにこれを陥落させた[5][6]

1215年乙亥)8月にはコルチ、ウヤルと史進道の3人が興州・広寧を陥落させた後[7]、史進道は北京管下の義州節度使となり、北京を管領した[8][9][10]

1216年丙子)、錦州で張致が叛乱を起こすと、1217年丁亥)に史進道はムカリの指揮下に入り張致を討伐した。張致の討伐により遼西一帯がモンゴルの支配下に入って間もなく、史進道は広寧府留守、ついで北京留守とされた。これ以前の北京留守は旧金軍を率いる女真人の寅答虎であり、史進道の北京留守就任は史氏一族が北京を実質的に支配するに至る象徴的な人事であった[11]。史進道が北京を治めてから10年あまり経つと、史氏一族は新たに真定路を拠点とするようになって北京を離れ、史進道の婿でもあった張之翼が北京管民長官万戸として北京の統治を継承した[12][10][13]

1234年甲午)、史進道は官職を辞して引退し、真定路に移住して兄の史秉直に仕えた[14][10]。その後、1243年(癸卯)6月に自宅にて65歳にして亡くなった[15]
真定史氏

     高祖某 

                                      
                            
     史倫
(季)     佚名
(叔)    佚名
(仲)       佚名
(伯)       

                                        

     史成珪            佚名       佚名       

                                          
          
 史進道     
史秉直        史懐徳       佚名       

                                     
              
 史天沢 史天安    史天倪     史天祥       史天瑞

                      
        
 史格 史枢 史楫   史権

    

 史燿


脚注^ 池内1980,484-485頁
^ 池内1980,486-487頁
^ 『畿輔通志』巻166古蹟略陵墓2史進道神道碑,「元史進道墓在焦?村。大清一統志、段紹先撰神道碑略。公姓史、名進道、字道遠。家世中都大興府永清県韓侯郷興隆里人也。宗族世口先家前北京路行尚書六部郎中、崔君鼎玉所作史氏。慶源祖碑在馬故不必書。公自童時、瞻視端正、歩趨不類、幼穉而有成人之風。及冠姿貌魁偉、精神颯爽、膽勇過人、沈機方重、不苟言笑。凡所施為告口口有器略不為齷齪細行。天性所稟孝於父母友乎兄弟輯睦六親其於交際朋友之間。上至王孝仕宦、下及寒士冷族、接遇礼貌莫不均於愛敬。


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