この項目では、中華民国の台湾省について説明しています。その他の用法については「台湾省 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
台湾省別称: 臺 / 台
時計回りに上から: 新竹駅(新竹市)、大武崙古砲台(基隆市)、鵝鑾鼻灯台(屏東県)、澎湖跨海大橋(澎湖県)、北港朝天宮(雲林県)、檜意森活村入口(嘉義市)
地理
面積:25,110.0037 km2
各種表記
繁体字:臺灣
日本語読み:たいわん
?音:Taiw?n
通用?音:Tai-wan
注音符号:?????
片仮名転写:タイワン
台湾語:Tai-uan
客家語:Thoi-van
行政
台湾省旗台湾省章
台湾省旗台湾省徽
行政区分:省
下位行政区画:3市・11県
公式サイト:台湾省政府
台湾省(たいわんしょう)は、中華民国の省。1947年(民国36年)から2018年(民国107年)までは中華民国憲法が定める地方政府として台湾省政府の組織が存続していたが、行政組織再編の一環として1998年(民国87年)から2018年にかけて行政機関としての権限の縮小(虚省化)が行われたのち、2019年(民国108年)から予算ゼロとなり事実上廃止され[1]、現在は名目上の行政区画となっている。台湾問題を抱える中華人民共和国も名目上同名の省を設置しているが、組織的な関連性は全くない。 二・二八事件を契機として1947年(民国36年)[2]に台湾省政府が設置された。当初は台湾島と澎湖諸島(台澎地区)の全域を管轄としていたが、1967年(民国56年)以降台北市、高雄市、台北県、高雄県、台中市、台中県、台南市、台南県、桃園市が順次直轄市へ昇格したため、管轄範囲が大幅に縮小していった。なお、中華民国政府が1955年(民国44年)以降も実効支配し続ける台湾地区(中華民国自由地区)と大部分の範囲が被っているが、福建省の金門島、烏?島及び馬祖列島(金馬地区)を管轄区域としたことがない点が異なる。 設置当初、省政府は管轄地区の地方自治を担う存在だった。だが、中国国民党の一党独裁体制下にある中華民国政府が省内で戒厳令を敷き続けたため、中華民国憲法の規定に大きな制約が加えられ、地方自治行政は有名無実化していた。戒厳解除後の1990年代には政治の民主化が進んだが、同時に中央政府の行政効率化も進められ、1998年(民国87年)以降は地方自治体としての機能を「凍結」(虚省化)させられ、中央政府(行政院)の出先機関に変質した。 台湾省は略称を「台」(たい)と称し、中国大陸とは台湾海峡を隔てた場所に位置する台湾島の大部分、澎湖諸島、及び尖閣諸島(中国名:釣魚台列嶼)を領域とする。ただし、尖閣諸島は日本が沖縄県の一部として実効支配しているため、統治権が及んでいない。 北は東シナ海、東は太平洋、南西は南シナ海に面しており、北西は台湾海峡を挟んで福建省と、東は日本と、南はバシー海峡を挟んでフィリピンと接している。 台湾島の地理についての詳細は、台湾#地理を参照のこと。 1683年(康熙22年)に台湾と澎湖諸島を自国領に編入した清は、当初は台湾・澎湖を独自の行政区分とせず、福建省の管轄とした。だが、19世紀後半に列強の帝国主義政策が中国にまで影響を与えるようになると、日本等に対する国防上の観点から清朝は台湾の必要性を認識し、1885年(光緒11年)に台湾・澎湖を福建省から分離して福建台湾省を新設した。しかし、1895年に日清戦争で清が日本に敗北すると、下関条約によって清朝は台湾と澎湖諸島を日本に割譲することが取り決められ、福建台湾省は設置からわずか10年で廃止された。その後、日本政府は台湾・澎湖を日本領台湾として台湾総督府の統治下に置いたが、1945年に第二次世界大戦で日本が敗北したことによって、台湾は連合国の委託を受けて進駐してきた中華民国国民政府の統治下に入り、50年にわたる台湾総督府の統治が終焉した(台湾光復)。 台湾に軍を進駐させた国民政府は、1943年(民国32年)のカイロ宣言における取り決めを基にして台湾を自国領に編入(台湾光復)して台湾省を設置し、台湾省行政長官公署(1945年)や台湾省議会(1946年)を設置して統治に当たらせていた。しかし、行政長官公署の統治に対して台湾住民は反発を募らせていき、1947年(民国36年)には 二・二八事件が勃発するまでになった。その為、中華民国政府は事件鎮圧後に行政長官公署を廃止し、1947年5月16日に台湾省政府を設置することで台湾の統治体制をより強固なものとしていった。だが、 国共内戦における中華民国軍の敗北によって、 1949年(民国38年)10月1日に中国共産党が中華人民共和国政府を建国すると、中華民国政府は中央政府機構を同年12月に全て台湾島へ移して共産党との内戦を続け、同時に冷戦における共産主義の防波堤という役割も果たしていった。この間に、「共匪の反乱鎮圧」を理由に中華民国政府は動員戡乱時期臨時条款(1948年)や台湾省戒厳令 中華民国の台湾省は、1947年の設置時点では清代の福建台湾省と同一の所轄範囲であり、省都も台北市に置かれていた。しかし、1949年12月に国共内戦に敗れた中華民国政府が首都を台北市に移転し、1955年(民国44年)の大陳島撤退作戦までに現在も実効支配している地域以外を中国人民解放軍に制圧されると、中華民国政府の統治区域と台湾省の統治区域がほぼ同一の区域として重複するようになり、台湾省政府が本来行うべき地方自治業務に支障を来すようになった(省の役割については中華民国の行政区分を参照)。
概要
地理
沿革
前史
中国国民党一党独裁時代