台湾百岳
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台湾百岳(たいわんひゃくがく)とは、登山家の林文安らによって、台湾の標高1万(約3,030 m)以上の山から100山を選定したものである。
概要

深田久弥著『日本百名山』の影響を受け、1970年代に構想が生まれた。三角点のある山、名前の付いた山が優先的に選ばれ、また最高峰の山頂だけでなく、周辺の稜線を登ることを奨励するため高山の副峰なども含めた。1971年、台湾の建国100周年を祝うために中央山脈を縦走する計画し、南北2チームに分かれて標高3,000 m以上の山を登り七彩湖で合流するよう台湾の登山家たちに持ち掛けた[1]。縦走が終わった後、林文安、蔡景璋、?天正、丁同三、簡進清らによって協議が進められた。?天正の提案により、大縦走の南隊が10月26日に最後に登頂し、その際に「六順山」と命名され、台湾百岳に選ばれた。その際、鈴鳴山と閂山の間にあった人待山は削除された[2][3]1972年、林文安、蔡景璋、簡進清によって「百岳クラブ」が設立し、林文安が会長となった。同年12月5日に台湾山岳会の設立46周年記念式典が観音山で開かれ、この日に羊頭山にて設立を正式に宣言し[4]、この時には既に台湾百岳の選定が終わっていた。1980年代以降の再測量により、六順山と鹿山は標高3,000 mを下回ったものの削除はされず、台湾の五大山脈のうち、中央山脈からは69座、雪山山脈から20座、玉山山脈から11座が選定され、阿里山山脈海岸山脈はどの山も1万尺に達していないため、一つも台湾百岳に含まれていない。

選定後は台湾で登山ブームが起こり、踏破を目指す登山愛好家もいたものの、全てを登頂することは容易ではないため、百岳の中でも特に壮麗さや独特さを基にした「五岳三尖一奇」が選ばれ、多くの登山者の目標となり、他にも「十峻」や「四秀」なども存在する。

台湾には標高3,000 mを超える峰が268座あり、台湾百座から除外された山も存在する。何季霖は選定された山について疑問を抱いており、?山や穆特勒布山を追加すべき、駒盆山、鹿山、南湖北山、審馬陣山、剣山、布拉克桑山は「岳」と呼ぶには不十分で除外すべきと考えている。
台湾百岳一覧

中華民国山岳協会の「台灣百岳高度順序表」では
志佳陽大山は三角点の標高で記載しており、その場合は55位となり、白姑大山から卑南主山までの10座は順位が1つ上がる。郡大山は百岳クラブ創設時の標高3,294 mで記載しており、順位は54位であったが、2018年の測量にて3,278 mであった[5]ため、58位となっている。六順山についても最新の測量で3,009 mとなっている。

台湾百岳一覧番号山容山名(日本語)山名(中国語)標高所在地備考
1玉山
ぎょくさん玉山3,952南投県
高雄市
嘉義県新高山
玉山主峰
台湾最高峰
2雪山
せつざん雪山3,886苗栗県
台中市次高山
雪山主峰
3玉山東峰
ぎょくさんとうほう玉山東峰3,869南投県
高雄市新高東山
台東新高
蕃薯寮新高
天壘峰
4玉山北峰
ぎょくさんほくほう玉山北峰3,858南投県新高北山
斗六新高
天駝峰
5玉山南峰
ぎょくさんなんぽう玉山南峰3,844高雄市新高南山
天龍峰
6秀姑巒山
しゅうこらんざん秀姑巒山3,826花蓮県
南投県馬霍拉斯山
7馬博拉斯山
ばはくらしさん馬博拉斯山3,785花蓮県
南投県烏拉孟山
8南湖大山
なんこだいさん南湖大山3,742台中市
9東小南山
とうしょうなんざん東小南山3,711高雄市


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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