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運営(財)中央広播電台(中央放送局)
設立1928年
在籍国 中華民国(台湾)
所在地 中華民国 台北市北安路55號
演奏所同上
外部リンクhttps://www.rti.org.tw/
台湾国際放送
各種表記
繁体字:中央廣播電臺
簡体字:中央广播?台
日本語読み:ちゅうおうこうはでんたい
英文:Radio Taiwan International(RTI)
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台湾国際放送(たいわんこくさいほうそう、中国語(国語):中央廣播電臺・臺灣之音、英: Radio Taiwan International. 略称:RTI)とは、中華民国(台湾)の国際放送である。国営放送局である財団法人中央広播電台(中央放送局・中国語(国語):財團法人中央廣播電臺)が、台北を拠点として、中国大陸(中華人民共和国)を含む海外に向けて、14言語で短波ラジオ放送を行っている。
概要RTI本部(白の建物)奥は円山大飯店
起源は、1928年、中華民国国民政府が中国大陸の南京で放送を開始した「中央広播電台」[1][要出典]。国共内戦に敗れた中華民国政府が台湾省台北市に移転した1949年以後は、党営会社「中国広播公司」が事業主となり、48年間にわたって、「自由中國之聲」[2]という名称で放送された。この間、中国大陸向け放送部門が独立して国防部の所管に移されたが、民主化が進んだ1998年に再統合されて「財団法人中央広播電台」が発足し、「中央広播電台・台北国際之声」[3]として再スタートした。中国向け放送は「中央広播電台・台湾之音」と呼ばれている。2003年には現在の「Radio Taiwan International:RTI」[4]に改称した。
放送局は台北市の円山大飯店の隣に位置し、28のスタジオを備えるほか、放送文物館を併設している。台湾の3つの送信所(以前は9つ)に送られ、総出力量は1万50kWに達し、アジア1位、世界的にも上位10位以内に入るとされる。使用言語は、中国語(中華民国国語)、台湾語、客家語、広東語、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、ロシア語、日本語、インドネシア語、タイ語、ベトナム語、朝鮮語で、2021年以降、ビルマ語、フィリピン語、アラビア語のFacebookのファンページが追加された。一週間あたりの放送時間数は2200時間を上回るという。短波放送が主であるが、一部は国内・近隣地域向けに中波でも放送される。中華電信との合作MODによるインドネシア語、タイ語、ベトナム語に東南アジア言語教学番組[5][6]実施、またFM局との合作番組も作成。台湾国際放送は12言語でホームページを開設し、デジタルラジオ放送(DRM)の試験放送を不定期で実施している。
ボイス・オブ・アメリカ(VOA)、ドイチェ・ベレ、ラジオ・フランス・インターナショナル(RFI)、ファミリーラジオ、ラジオ・スプートニク、ラジオ・オーストラリア、ラジオ・カナダ・インターナショナル、ラジオ・フリー・アジア(RFA)などと協力関係を結んでいる。
歴史「:zh:中央廣播電臺」も参照
1928年8月1日 - 国民政府の中央広播電台、南京で放送開始(呼出符号:XKM、後にXGZに変更)。
1932年夏 - 国民政府、放送局を管理、運用する機関として中央広播無線電台管理処を設置。
1932年11月13日 - 中央広播電台、出力75kWで中波による大出力放送を正式に開始(日本語放送も開始し、「南京の鶯」による怪放送と騒がれる)。呼出符号をXGOAに変更。
1936年1月23日 - 中央広播電台、短波による海外放送開始(呼出符号:XGOX)。広東語・アモイ語・英語・マレー語による東南アジアの華僑向け放送(英称は“The Central Broadcasting Station”)。
1936年1月 - 中央広播無線電台監督処、中央広播事業管理処に改称。
1937年7月17日 - 中央広播電台、?介石の対日抗戦声明を全世界に放送。当時の南京の短波放送の出力は20kwであった[7]。
1937年11月23日 - 中央広播電台、南京からの放送を停止し、政府とともに西方に撤退(漢口を経て、重慶に移転)。
1938年3月10日 - 中央広播電台、重慶から放送再開。
1939年2月6日 - 中央短波広播電台、重慶から海外放送開始(呼出符号:XGOX、XGOY)。使用言語は英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・ロシア語・日本語など(最大時には、中国語の方言を含むと20言語に拡大)。
1940年1月 - 中央短波広播電台の名称、中国国際広播電台(英称は“The Chinese International Broadcasting Station”、通称は“The Voice of China”)と決定。
1946年5月5日 - 中央広播電台、政府の南京還都と共に南京に移転。
1946年12月 - 中央広播事業管理処を改組して中国広播公司を設立する案、国民政府行政院の批准を経て成立。
1949年 - 中央広播電台、4月23日の南京陥落に伴い、政府とともに広州を経て、台湾地区に移転。