この項目では、女優の可愛かずみについて説明しています。1970年代に活躍した歌手の可愛和美については「可愛和美」をご覧ください。
かわい かずみ
可愛 かずみ
本名久我 知子(くが ともこ)
生年月日 (1964-07-09) 1964年7月9日
没年月日 (1997-05-09) 1997年5月9日(32歳没)
出生地 日本・東京都杉並区
死没地 日本・東京都新宿区
身長161 cm
血液型A型
職業女優、歌手、グラビアアイドル
ジャンル映画・テレビドラマ・舞台
活動期間1982年 - 1997年
主な作品
テレビドラマ
『トライアングル・ブルー』
『痛快!OL通り』
『アナウンサーぷっつん物語』
『女猫?美しき復讐者?』
『季節はずれの海岸物語』
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かわい かずみ
可愛 かずみプロフィール
生年月日1964年7月9日
没年月日1997年5月9日
没年齢32歳(数え34)
出身地 日本・東京都杉並区
血液型A型
公称サイズ(時期不明)
身長 / 体重161 cm / 44 kg
BMI17
スリーサイズ81 - 57 - 81 cm
靴のサイズ23.5 cm
単位系換算
身長 / 体重5′ 3″ / 97 lb
スリーサイズ32 - 22 - 32 in
活動
デビュー1980年
ジャンル女優、歌手
モデル内容一般、ヌード
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可愛 かずみ(かわい かずみ、1964年7月9日[1] - 1997年5月9日)は、日本の女優。本名、久我 知子(くが ともこ)[1][2]。
東京都杉並区高円寺出身[3]。 2人姉妹で3歳年上の姉がいる[3]。幼少の頃に両親が離婚、1年ほど母親と住んだ後に父親に引き取られる[3]。子供の頃は両親の離婚と父親の仕事で転校を繰り返した。可愛自身、自分の性格を「感化されやすい」と言っており[3]、転校先でもすぐに馴染んだようである。その分、転校の時は友達と別れるのが辛く、寄せ書きを見てはよく涙ぐんでいた。この頃、父親に「転校はもうしたくない」と言っており、転校のなかった港区立港中学校時代を「落ち着いた気持ちで過ごせた」「すごく暖かい生活だった」と語っている[3]。 中学時代はバレーボール部に所属。その後、都内の女子高に進学。高校時代はレストランでアルバイトをしていた。幼少の頃は比較的大人しかったが徐々に元気で活発な少女に育っていった。また母親とは両親の離婚から生き別れになっており、姉が母親代わりだったと可愛の19歳時の取材で語っている[3]。 芸能界にあまり興味はなく、元々は美容師になるつもりだったが、高校在学中にスカウトを受けてモデルクラブに登録。日活の宣伝用ポスターの仕事が舞い込み、引き受けるが、可愛は、脱がないといけない仕事だと知らなかった。「話が違う」と一旦は断ろうとするが、日活の担当者が怒られているのを見て同情してしまい、最終的に引き受ける。この時に渡辺護監督の目に止まり、1982年、日活ロマンポルノ映画『セーラー服色情飼育』(監督:渡辺護・脚本:ガイラ)で女優デビューした[4]。日活ロマンポルノの主演の話がきたとき、いったん「考えさせてほしい」と告げた。モデル事務所から「次のステップに繋がる」という勧めもあり、きわどいラブシーンをしないという条件で、承諾した。「可愛かずみ」の芸名は、渡辺監督によって命名された。ロマンポルノ映画出演はこの1作のみだったが、キュートな顔立ちと抜群のスタイルで注目を浴びる。テレビドラマは、1983年のテレビ東京のドラマがデビュー作になっている。 続いて、映画『Blow The Night 夜をぶっとばせ』[5]、シブがき隊主演の『ヘッドフォン・ララバイ』に出演し、その後すぐにグラビアアイドルとして人気を博す。 以降はテレビのバラエティーやドラマで活躍をする。ポルノ映画の出演は『セーラー服色情飼育』だけだったが、デビュー作であったこともあり、世間からは『ポルノ女優』と形容された。映画雑誌記者によれば、可愛本人は『ポルノ女優』と呼ばれることを嫌がっていた。しかし、彼女の人気が高まるにつれ、可愛と同じくロマンポルノを足掛かりに一般の映画やテレビなどに出演し、人気を集めていた美保純と並ぶ扱いを受けるようになっていった。 可愛は「昔の仕事は自分で考えてしたことで後悔はしていないし、昔があるから今の自分がいるのも分かっている。私自身偏見はないけど、昔の仕事のことで人として軽く見られるのは辛い」と語っている[3]。ただし日活ロマンポルノには田中登や神代辰巳らの作品で、キネマ旬報などで上位に入り、高く評価された映画作品もある。なお、共演した下元史朗は後に「魅せられた女優」として可愛かずみを挙げている。渡辺監督は、可愛を「生きた恥じらいのある女優」と評価している。監督は可愛の芸名を名付けた理由を「可愛いから、可愛かずみにした」と語っている。1983年11月、脱ぐ仕事をしたくないという理由で、オフィス・アンからマーカスに所属事務所を移籍。 『ヘッドフォン・ララバイ』の出演が決まった時には嬉しくて台本を抱いて寝たと言う。この頃から「セーラー服色情飼育」出演時には非難していた友人たちも応援してくれるようになり、期待に応えたいという気持ちからプロ意識が芽生えてきたと本人が語っていた。 歌の方では「春感ムスメ」でシングルデビューをし、その後「天使のデザート」「メディテーション」のアルバムもリリース。レコーディングの時に、スタッフから「歌手じゃないんだから鼻歌まじりの歌声でいいんだ! 力むような歌声じゃ駄目だ」といかにもアイドルらしい頼りない歌唱を強いられ、可愛は不本意だったという。可愛の歌については「歌のレッスンを受けているアイドルよりも上手いし、本格的にレッスンを受けたらアイドルとしてではなく、プロの歌手として充分やっていける」と和田アキ子は評価していた。グラビア時代の可愛の人気は絶大で、毎週、特集を組んでいた雑誌もある。また、可愛のファンだったという芸能人もいて、嶋政宏などがテレビで公表している。 バラエティ番組に多数出演しており、1983年頃『オレたちひょうきん族』の「ひょうきんベストテン」のコーナーで中森明菜のものまねをしていた。また歌番組のアシスタントやバラエティー番組での活躍も増え、タレントとしての地歩を確立していった。1984年から1986年には、深夜帯ドラマ『トライアングル・ブルー』(テレビ朝日)に出演し、とんねるず、川上麻衣子らと共演。この作品で女優としての仕事も増えていった。テレビ朝日系深夜番組『トゥナイト』では山本晋也のアシスタントを長く務めた。可愛がアシスタント最終回の際、山本と司会の利根川裕が話をしていて、ふと可愛の方を見ると大量の涙を流していて、二人は絶句した。繊細な性格を視聴者に印象付けた瞬間だった。山本晋也は「僕は、女優可愛かずみを評価します」と声をかけていた。 片岡鶴太郎主演の『季節はずれの海岸物語』ではシリーズ全話を通じて、新井徳子(とっこちゃん)役で鶴太郎がマスターの喫茶店を手伝う役柄を演じた。
略歴