叫び_(エドヴァルド・ムンク)
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「ムンクの叫び」はこの項目へ転送されています。2012年公開の日本の映画作品については「ムンクの叫び (映画)」をご覧ください。

『叫び』ノルウェー語: Skrik
英語: The Scream

作者エドヴァルド・ムンク
製作年1893年
種類油彩
寸法91 cm × 73.5 cm (36 in × 28.9 in)
所蔵オスロ国立美術館オスロ

『叫び』(さけび、ノルウェー語: Skrik、英語: The Scream)は、ノルウェー画家エドヴァルド・ムンク1893年に制作したムンクの代名詞とも言える油彩絵画作品。ムンクの同年と1895年パステル、1895年にリトグラフ1910年テンペラが同じ題名、同じ構図による作品を描いており、全5点の『叫び』が存在している。

幼少期に母親を亡くし、思春期に姉の死を迎えるなど病気や死と直面せざるを得なかった1890年代のムンクには、「愛」と「死」とそれらがもたらす「不安」をテーマとして制作し、「フリーズ・オブ・ライフ(生命のフリーズ)」と称した作品群がある。『叫び』はそのうちの一作であり、最も有名な作品である。また、同題名、同構図の作品群『叫び』の中で世界的に最も著名なのは、最初に描かれた油彩の『叫び』であり、オスロ国立美術館が所蔵している。なお『ムンクの叫び』と通称で呼ばれる事も多いが、正式な作品名は『叫び』である。
概要

極度にデフォルメされた独特のタッチで描かれた人物、のように赤く染まったフィヨルドの夕景と不気味な形、赤い空に対比した暗い背景、遠近法を強調した秀逸な構図の作品である。ムンクがこの絵を発表した際、当時の評論家たちに酷評されたが、後に一転、高く評価されるようになった。

構図や色使いなどは1892年に描かれた『絶望』という作品を基にしており、ムンク自身もこれを「『叫び』のシリーズの一つ」と言及してある。

この絵は、ムンクが感じた幻覚に基づいており、ムンクは日記にその時の体験を次のように記している。

「私は2人の友人と歩道を歩いていた。太陽は沈みかけていた。突然、空が血の赤色に変わった。私は立ち止まり、酷い疲れを感じて柵に寄り掛かった。それは炎の舌と血とが青黒いフィヨルドと町並みに被さるようであった。友人は歩き続けたが、私はそこに立ち尽くしたまま不安に震え、戦っていた。そして私は、自然を貫く果てしない叫びを聴いた。」

つまり「叫び」はこの絵で描かれている人物が発しているのではなく、「自然を貫く果てしない叫び」に怖れおののいて耳を塞いでいる姿を描いたものである[1]

エーケベルグ(ノルウェー語版)の町は、高台からオスロとその先のオスロ・フィヨルド(地名に反してフィヨルドではなく、北欧に特徴的なであるヴィーケン(ノルウェー語版)) を望む景観が、『叫び』の実在する舞台として知られている。

1978年、米国の美術史家であるロバート・ローゼンブラムは、フランスパリにある人類史博物館に展示されていたペルーミイラが『叫び』中央の人物のモデルであるという説を唱えた。実際、このミイラは丸く落ちくぼんだ目、開いた口、頬に当てられた手、痩せた体など『叫び』の人物と共通点が多い。2004年には、イタリアの人類学者がフィレンツェの自然史博物館で見たミイラがモデルとの推測をしている。このミイラはさらに絵との類似性があるが、ムンクは『叫び』を描いた後までフィレンツェを訪れたことがないはずなので、この節には異論もある[2][3][4]
収蔵と保存ムンク美術館にて展示されるテンペラ画の『叫び』。

ムンクの『叫び』は5点以上が制作され、オスロ国立美術館所蔵の油彩画、同じくオスロのムンク美術館所蔵のテンペラ画パステル画(1893年版)とリトグラフ、ノルウェー人実業家ペッター・オルセンが所蔵し2012年5月2日に米国ニューヨークサザビーズにより競売にかけられ、1億1990万ドル(日本円で約96億円)で落札されたパステル画(1895年版)の5点が知られている[5][6][7]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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