古鷹_(重巡洋艦)
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古鷹

基本情報
建造所三菱造船長崎造船所
運用者 大日本帝国海軍
艦種重巡洋艦
級名古鷹型重巡洋艦
艦歴
発注1922年6月
起工1922年12月5日 [1]
進水1925年2月25日 [1]
竣工1926年3月31日 [1]
最期1942年10月12日、米艦隊の砲撃により沈没
除籍1942年11月10日 [2]
要目(新造時 → 改装後[3]
基準排水量7,950トン → 8,700トン
公試排水量9,544トン → 10,630トン
全長185.166 m
最大幅16.55 m → 16.926 m
吃水5.56 m → 5.61 m
主缶艦本式缶重油専焼10基、同混焼2基 → 艦本式重油専焼缶10基
主機三菱パーソンズ式オールギアードタービン4基4軸
出力102,000馬力 → 103,340馬力(公試成績)
速力34.6ノット(公試成績)
→ 32.95ノット(公試成績)
燃料重油:1,400トン、石炭:400トン
→ 重油:1,858トン
航続距離14ノットで7,000海里
乗員627名 → 639名
兵装竣工時[4]
50口径20cm単装砲6門
40口径8cm単装高角砲4門
61cm連装魚雷発射管6基12門
八年式魚雷24本
改装後
50口径20.3cm連装砲3基6門
45口径12cm単装高角砲4門
61cm4連装魚雷発射管2基8門
九三式魚雷16本
装甲舷側76mm
水平32-35mm
主砲25mm
搭載機1機 → 2機
(カタパルト0 → 1基)
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古鷹(ふるたか)は大日本帝国海軍古鷹型重巡洋艦1番艦である[5]。艦名は江田島海軍兵学校そばにある古鷹山に由来する[6]平賀譲造船官が設計した。1942年10月、サボ島沖海戦で沈没した。
艦歴
建造経緯 

大正時代中期までの日本海軍の主力巡洋艦は5500トン型軽巡洋艦で、同じ太平洋で強力な海軍を持つ米国のオマハ級軽巡洋艦に比べて軍艦性能で大きく後れを取っていた。平賀は基準排水量2890トンの船体に5500トン型軽巡洋艦に匹敵する兵装を備えた軽巡洋艦夕張を設計し、軍艦設計技術の高さを世界に示した[7]。平賀は夕張に引き続き、米国の15cm砲搭載軽巡洋艦に対抗できる兵装を備えつつ、快速で中部太平洋まで行動できる高い航海性能を備えた偵察巡洋艦として、夕張のコンパクトな設計思想を引き継いだ7100トン級巡洋艦を設計した[8]。これが古鷹型である。当初の計画では14cm砲を搭載する予定だったが、1922年(大正11年)2月に終了したワシントン海軍軍縮条約で、巡洋艦が「排水量10,000トン以下、砲口径5インチ以上8インチ以下」と定義された一方、保有トン数の制限は設定されなかった。そのため搭載する主砲は、条約下で米国巡洋艦を上回る20cm単装砲6基6門に変更された。

1922年(大正11年)8月11日、1番艦に衣笠、2番艦に古鷹の艦名が与えられた[9]。10月9日、1番艦の艦名が加古に変更された(詳細は加古参照)。12月5日、加古より18日遅れて三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で起工した[1]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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