古賀繁一_(実業家)
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古賀 繁一(こが しげいち、1903年4月20日 - 1992年12月4日)は、日本の経営者、造船技術者。三菱重工業社長、会長を務めた。福岡県出身[1]
経歴・人物

福岡県柳川市の出身で旧制伝習館中学、旧制第五高校を経て、1926年東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業し、同年に三菱造船に入社した[1]。戦艦「武蔵」の設計に携わっていた[1][2]1964年三菱重工業専務に就任し、1971年に社長に昇格した。1973年から1977年までに会長を務め、1977年から相談役を務めた[1]

国際貿易促進協会副会長、成蹊学園理事長なども歴任した[1]

1967年藍綬褒章を受章し、1973年勲一等瑞宝章を受章した[1]

1992年12月5日肺炎のために死去[2]。89歳没。
脚注[脚注の使い方]^ a b c d e f 「現代物故者事典 1991-1993 p238」
^ a b 1992年 12月5日 日本経済新聞 朝刊 p31










三菱重工業社長[1][2]
1884年 -

三菱商会(1873年)
- 長崎造船所(1884年)
- 三菱社(1885年)
 - 三菱合資会社(1884年)
- 三菱造船(1917年)
- 三菱重工業(1934年)

岩崎弥太郎(1884年)・山脇正勝(1884年)

岩崎弥之助(1885年)・荘田平五郎(1886年)

岩崎久弥(1893年)

岩崎小弥太(1916年)

浜田彪(1917年12月 - 1932年)・武田秀雄(1918年5月)

斯波孝四郎(1920年2月 - 1942年2月)

取締役社長制・郷古潔(1941年2月 ? 1945年10月)

取締役会長制復活・元良信太郎 (1943年4月 - 1945年10月)

玉井喬介 (1945年10月 - 1955年5月)

岡野保次郎 (1946年12月)

桜井俊記


1950年 -

東日本重工業(1950年)
- 三菱日本重工業(1951年)

李家孝(1950年1月)

桜井俊記(1952年5月)

河野文彦(1961年5月) -

中日本重工業(1950年)
- 新三菱重工業(1951年)

藤井深造(1950年1月)

吉田義人(1959年5月)

藤井深造(1962年3月) -

西日本重工業(1950年)
- 三菱造船(1951年)

丹羽周夫(1950年1月)

佐藤尚(1959年5月) -


1964年 ?

三菱重工業

藤井深造(1964年6月)

河野文彦(1965年5月)

牧田与一郎(1969年5月)

古賀繁一(1971年12月)

守屋学治(1973年5月)

金森政雄(1977年6月)

末永聡一郎(1981年6月)

飯田庸太郎(1985年6月)

相川賢太郎(1989年6月)

増田信行(1995年6月)

西岡喬(1999年6月)

佃和夫(2003年6月)


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