古谷三敏
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古谷 三敏
2019年
本名古谷 三敏
生誕 (1936-08-11) 1936年8月11日[1]
満洲国(現・中華人民共和国奉天市[1]
死没 (2021-12-08) 2021年12月8日(85歳没)
国籍 日本
職業漫画家
活動期間1955年[1]
ジャンルギャグ漫画
少女漫画
家庭漫画
蘊蓄漫画
代表作『ダメおやじ
ぐうたらママ
寄席芸人伝
減点パパ
BARレモン・ハート
ほか
受賞第24回 小学館漫画賞
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古谷 三敏(ふるや みつとし、1936年8月11日[1][2] - 2021年12月8日)は、日本漫画家満洲奉天生まれ、茨城県鹿島郡神栖町(2005年より神栖市に)出身[2]薀蓄を多く含んだ漫画を得意とする。
経歴・人物

長男であるが、父親が満洲に渡って三年目に生まれたため三敏と名付けられた。父親は奉天の千日仲見世通りで割烹寿司店を経営。田中絹代双葉山も来店するような名店だったが、賭博好きが高じて摘発され、一週間勾留されたことで寿司ネタが全て腐ってしまい、北京の六条胡同に引っ越す。父親は更に北戴河陸軍病院の炊事係になった。三敏は秦皇島の小学校へは片道5時間、後に出来た分校までも2時間かかって通った[1][注 1]

1955年、19歳のときに『みかんの花咲く丘』(島村出版)でデビュー[1]1958年手塚治虫のアシスタントになり、1961年に一度独立して月刊『少女』(光文社)等に連載を持つ。1963年に編集者の推薦により赤塚不二夫アシスタントになる。赤塚とは年齢が1歳しか違わないこともあり、師弟というよりは親友、相棒という関係に近かった[3]

1965年に赤塚不二夫が設立したフジオ・プロダクションに参加。フジオプロ在籍時代はアイディアスタッフのメインとして『おそ松くん』『天才バカボン』など赤塚作品に多く関わっていたほか、並行して少女誌を中心に自作も手掛け、1970年から『週刊少年サンデー』に連載した『ダメおやじ』のヒットで、少年誌向けギャグ漫画家として人気を博し、同作で第24回(1978年小学館漫画賞を受賞した[2]。当時はフジオプロの大黒柱とまで呼ばれた。

その後、フジオプロから独立し[4]1974年9月に芳谷圭児と共に『ファミリー企画』を設立。以後は青年誌を中心に活動を続け、薀蓄を交え、サラリーマンのユーモラスな日常生活を描いた『減点パパ』をはじめ、酒の世界と人間ドラマを織り込んだ『BARレモン・ハート』、落語と噺家の人生を描いた『寄席芸人伝』など数多くの作品を世に送り出している。

1975年から2020年まで毎日新聞『日曜くらぶ』にて『ぐうたらママ』を連載し、45年の長期連載を達成した。

漫画家以外の活動では、日本テレビおはよう!こどもショー』内でイラスト講座を担当したことがある。

1990年にサントリーのバーテンダー専科コースに通い、バーテンダーの資格を取得[5][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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