古澤融
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ふるさわ とおる
古澤 融
プロフィール
本名古澤 徹(ふるさわ とおる)
[1]
愛称てつ[2]
性別男性
出生地 日本群馬県[3][4]前橋市[5][6]岩神町[7]
生年月日 (1962-08-03) 1962年8月3日(61歳)
血液型O型[3]
身長171 cm[3][6]
職業声優舞台俳優
事務所ロウノーツ エージェンシー[8]
配偶者あり[7]
公式サイト古澤融公式HP ロウノーツエージェンシー
活動
活動期間1980年代 -
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

古澤 融(ふるさわ とおる、1962年8月3日[2][6][9] - )は、日本声優舞台俳優演出家。個人事務所のロウノーツ エージェンシー(Low Notes Agency)所属。[8]劇団「Rlung風-ルン-」座長[10]。本名及び旧芸名は古澤 徹(読み同じ)[1]
来歴

群馬県[4]前橋市[5][6]岩神町東京電力の社宅で誕生し、中学二年まで住んでいた[2][7](一部では熊本県出身となっている[11])。

前橋市立岩神小学校前橋市立第三中学校群馬県立渋川高等学校明治大学政治経済学部政治学科卒業[6][7]

高校進学時、演劇部の部長に勧誘され、役者を始める[2]

青年座研究所11期生[3][6]円・演劇研究所[7]を経て、劇団仲間[3]に入団[7]

当時は生活に困り、稽古と上演ばかりでアルバイトをする時間すら取れず、劇団青年座の俳優ばかりがアルバイトをしていた清水建設の下請けの会社に潜り込む[7]。しかしその現場で足場から落下、右足の前十字靭帯を断裂、半月板損傷を負ってしまう[7]。その時、親友だった檀臣幸が、「最近、声優という割のいいバイトを始めたんだ」と言ってたのを思い出し、檀に泣きついたところ、たてかべ和也を紹介してくれたという[7][12]。たてかべはザ・スズナリで古澤の芝居を観て「芝居は出来るようだから、まあいいだろう」と判断、そのまま古澤はたてかべの弟子になり声優としての活動を始める[7][12]1994年、『勇者警察ジェイデッカー』のデッカード役で声優デビュー[6]

その後はぷろだくしょんバオバブ[11]ケンユウオフィス[3]ベルプロダクション[4]オフィス海風に所属していた。

2021年4月1日より、芸名の漢字表記を「古澤徹」から「古澤融」に変更[13]。この芸名は妻の意見も聞いて、ハイラリンクスを克服した記念に、「自分で自分に名前」を与えようと思い、改名したという[7]。融和の融、源融をイメージして名付けたという[7]
人物

たびたび共演する声優の田中敦子とは同じ群馬県の出身で、幼稚園の同級生である[5]

サイボーグクロちゃん』のドクター剛には特に思い入れがある。一時期にかかって、仕事を全てキャンセルしていた時期があり、精神的に参っている状況下において、音響監督松浦典良が「それでもいいから」と古澤を説得したうえで、『サイボーグクロちゃん』のドクター剛役は決まった。しかし、同作品は製作会社の都合で未完結となる[14]。このドクター剛のおかげで現在の自分があるとして、ブログでの一人称を「ワシ」にしており、ドクター剛を再び演じられるよう祈願しているという。また、飼いの名前も「クロ」である(ただし毛の色はグレー)[15]

自身のブログでは「もっとアニメがやりたい」と語ったことがある[16]。他方、日本の芸能界の困る点について「事務所の力が強すぎること」を挙げており、フリーになった後は仕事は激減、過去の持ち役の収録がほとんどとなっているとのこと。

自身の劇団「Rlung風-ルン-」の代表も務める[10]

趣味は舞台作り[4]読書[11]オートバイ[17]。特技は脚本演出[4]居合道合気柔術水泳[11]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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