古橋柳太郎
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古橋 柳太郎(ふるはし りゅうたろう、1882年 - 1961年)は、日本建築家東京府生まれ。

東京で大工の棟梁をしていた古橋由次郎の長男として出生した。1910年東京帝国大学工科大学建築学科を卒業し、国政府から技師として招かれた。翌1911年辛亥革命が勃発すると帰国し、曽禰中條建築事務所に勤務した。1914年、独立し建築事務所を設立した。1961年、東京都内で亡くなった。

主な作品に後楽園球場麻布中学高等学校[1]日本基督教団甲府教会[2]などがある。
脚注^ “港区ゆかりの人物データベースサイト 麻布中学・高等学校”. www.lib.city.minato.tokyo.jp. 2018年11月17日閲覧。
^ 日本基督教団甲府教会百年史. 日本基督教団甲府教会. (1979年4月22日). p. 131 

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