古文書
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古文書(こもんじょ)とは、特定の対象に伝達する意志をもってする所の意思表示の所産である[1]。広く「古い文書」の意味でも使われるが、歴史学上は古記録と区別されることがある[2]
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独自研究が含まれているおそれがあります。(2020年2月)


羽柴秀吉朱印状(25ヵ条の大陸国割計画書)/前田育徳会所蔵

日本の歴史学では、文献史料は古文書と古記録に分けられ、古文書とは特定の者に対して意志表示を行うために作成された文字史料で差出人と受取人が存在するものをいう[2]。これに対して特定の相手に向けたものではなく受取人が不特定で意志が一方的に表示されている文字史料を古記録という[2]。多くの場合、古記録は二次史料、古文書は一次史料である[2]

古文書には当時の原本(「正文」しょうもん)が宛所の家にそのまま伝わる場合と、下書き(「草案」そうあん/「土代」どだい)が差出人の家に控えとして伝世する場合がある。また、朝廷幕府が同じ命令を各地に出すときや、分家するときに先祖が発給を受けた文書を分家に写しとして分与したり、訴訟で証拠書類を提出するとき、正文をもとに写しを作成する。これら写しは「案文(あんぶん)」と呼ばれている。

また偶然、機能を終えた文書の裏面を利用して写本を行ったり、裏面に草案をしたためたりして廃棄されずに、別な形で伝世する場合がある。このような文書を「紙背文書」と呼ぶ。

なお、日本の国宝重要文化財に指定されている古文書については1975年(昭和50年)度からは「書跡・典籍の部」とは別に「古文書の部」として指定されている。同年、国宝及び重要文化財指定基準(昭和26年文化財保護委員会告示第2号)が改正され、「古文書の部」の指定基準が「書跡・典籍の部」の指定基準とは別個に定められている。古文書の部の既指定物件には書状(手紙)類が多く、厳密な意味での古文書・文書のほか、日記などの記録類、絵図、系図なども含まれている。
古文書学

古文書を研究する歴史学上の一つのカテゴリーであり、史料学の一分野とみなされる。主に古文書の様式分類を研究目的とする。大学文学部歴史学科などで専門課程講座講義として設けられている場合が多い。ほとんどの日本史学専攻の学生は受講しなければならないよう義務付けられている。授業の内容は古文書の様式といった基礎知識の伝授と実際の読み下しが行われていることが多い。

前近代社会にあっても、古文書の研究は存在したが、それは訴訟などで証拠として提出された文書の真偽を鑑定するためであった(こうした偽文書は謀書と呼ばれ、極刑にされる場合もあった)。また、故実家が礼法の研究として古文書を研究して書札礼を確立させたりした。もっとも、江戸時代に盛んであったのは芸術品としての古写本古筆切などの鑑定をもって商売とする古筆家の活動であった。

「古文書学」として学問分野での研究が行われるようになったのは、明治時代に入ってからである。明治期に西洋の歴史学から実証主義的な研究法をから影響を受け、久米邦武、星恆、黒板勝美などが中心になり日本における古文書学・記録資料学が発展した。

古文書学においては古文書の所蔵者から資料調査が行われる。資料調査は現物の古文書(群)を観察し、料紙の状態や寸法、宛所や署判、付箋などの各要素について調べ、写真図版も作成する。内容についても文字を解読し、年代や伝来経緯を推定するが、場合によっては特徴を比較するため関係する既出の古文書や年代の前後する古文書が参考資料として用いられる。


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