「古川元久」とは別人です。
日本の政治家古川 禎久ふるかわ よしひさ
内閣広報室より公表された肖像
生年月日 (1965-08-03) 1965年8月3日(58歳)
出生地 日本 宮崎県串間市
出身校東京大学法学部卒業
前職国家公務員(建設省)
衆議院議員政策担当秘書
所属政党(新進党→)
(無所属→)
(自由民主党(橋本派)→)
(無所属→)
自由民主党(山崎派→無派閥→石破派→茂木派→無派閥)
称号法学士(東京大学・1989年)
公式サイト ⇒衆議院議員 古川よしひさオフィシャルウェブサイト
第104-105代 法務大臣
内閣第1次岸田内閣
第2次岸田内閣
在任期間2021年10月4日 - 2022年8月10日
衆議院議員
選挙区宮崎3区
当選回数7回
在任期間2003年11月9日 - 現職
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古川 禎久(ふるかわ よしひさ、1965年〈昭和40年〉8月3日 ‐ )は、日本の政治家、建設官僚。自由民主党所属の衆議院議員(7期)、自由民主党組織運動本部長代理、団体総局長。
法務大臣(第104代・105代)、財務副大臣(第2次安倍内閣)、環境大臣政務官(福田康夫改造内閣・麻生内閣)、法務大臣政務官(第1次安倍改造内閣・福田康夫内閣)などを歴任した。 1965年8月3日、宮崎県串間市に生まれる(現住所は都城市中原町[1])。一家は1926年(昭和元年)から焼酎造りを家族経営し、同時に酒類の小売販売を行っていた[2]。零細経営の家業はのちに廃業した[2]。串間市立福島小学校を卒業し、ラ・サール中学校に入学。中学3年の11月、中学の寮を退寮処分となり下宿屋の物置き部屋で生活する[3]。ラ・サール高校に進学し卒業したのち、東京大学に入学。柴山昌彦、山下貴司らと同じクラスに所属する[4]。東京大学法学部に進学し、1989年3月卒業。 1989年4月、建設省に入省し、建設事務官となる。1992年に建設省を退官。退官後は衆議院議員中村時広の秘書を務める他、目黒で焼き鳥店を経営していた[5][6]。ある時、学生時代に恩義を受けたニッポンレンタカー創業者の石川浩三が古川の店に来店し、「三十になったら、人生の目標はこれだと定めて一歩ずつでいいから目標に向かって人生を歩みなさい。君は政治家になるんでしょう?」などと言い残し、その数か月後に石川は他界した[5]。 古川は30歳で政界進出を目指し[5]、1996年、第41回衆議院議員総選挙に新進党公認で宮崎3区に出馬するも、自民党の持永和見に敗れ、落選。続けて2000年、第42回衆議院議員総選挙で宮崎3区に無所属で出馬するも、再び持永に敗れ、落選した[7]。2003年第43回衆議院議員総選挙に無所属で宮崎3区から出馬し、持永哲志(和見の息子)を破り、初当選を果たす[8]。
来歴