古宇郡(ふるうぐん)は、北海道(後志国)後志総合振興局の郡。
人口2,206人、面積230.06km²、人口密度9.59人/km²。(2024年4月30日、住民基本台帳人口)
以下の2村を含む。 1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記2村より泊村の一部(大字堀株村・茅沼村[1])を除いた区域にあたる。 江戸時代、古宇郡域は和人地となる。松前藩によってフルウ場所が開かれていた。 享保15年に興志内村(現在の泊村大字興志内)の稲荷神社が創建される。この他、古宇場所請負人田付新助(福島屋)の創祀と伝わる泊稲荷神社
泊村(とまりむら)
神恵内村(かもえないむら)
郡域
歴史
郡発足までの沿革(現在の神恵内村)が創建される。
文化4年には、古宇郡域は天領とされた。文政4年には松前藩の元に戻されたものの、安政2年再び天領となり庄内藩が警固にあたった。
文久2年に智竜寺が、翌3年には梅木悦道師によって瑞龍山法輪寺が建立された。戊辰戦争(箱館戦争)終結直後の1869年、大宝律令の国郡里制を踏襲して古宇郡が置かれた。
郡発足以降の沿革北海道一・二級町村制施行時の古宇郡の町村(11.神恵内村 12.泊村 青:区域が発足時と同じ町村)
明治2年8月15日(1869年9月20日) - 北海道で国郡里制が施行され、後志国および古宇郡が設置される。開拓使が管轄。
明治5年
4月9日(1872年5月15日) - 全国一律に戸長・副戸長を設置(大区小区制)。
10月10日(1872年11月10日) - 4月に設置された区を大区と改称し、その下に旧来の町村をいくつかまとめて小区を設置(大区小区制)。
明治9年(1876年)9月 - 従来開拓使において随意定めた大小区画を廃し、新たに全道を30の大区に分ち、大区の下に166の小区を設けた。
明治9年の大区小区
第6大区
1小区 : 珊内村、赤石村、神恵内村
2小区 : 興志内村、盃村、泊村
明治12年(1879年)7月23日 - 郡区町村編制法の北海道での施行により、行政区画としての古宇郡が発足。
明治13年(1880年)3月 - 岩内古宇郡役所の管轄となる。
明治15年(1882年)2月8日 - 廃使置県により札幌県の管轄となる。
明治19年(1886年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁札幌本庁の管轄となる。
明治30年(1897年)11月5日 - 郡役所が廃止され、岩内支庁の管轄となる。
明治39年(1906年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、神恵内村、赤石村、珊内村の区域をもって神恵内村(二級村)が発足。(1村)
明治42年(1909年)4月1日 - 北海道二級町村制の施行により、泊村、盃村、興志内村および岩内郡堀株村、茅沼村の区域をもって泊村(二級村)が発足。(2村)
明治43年(1910年)3月1日 - 岩内支庁が廃止され、後志支庁の管轄となる。
大正12年(1923年)
4月1日 - 泊村が北海道一級町村制を施行。
9月1日 - 泊村の一部が岩内郡発足村に編入。
昭和18年(1943年)6月1日 - 北海道一・二級町村制が廃止され、北海道で町村制を施行。二級町村は指定町村となる。
昭和21年(1946年)10月5日 - 指定町村を廃止。
昭和22年(1947年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道後志支庁の管轄となる。
平成22年(2010年)4月1日 - 後志支庁が廃止され、後志総合振興局の管轄となる。
脚注[脚注の使い方]^ 1909年に岩内郡から編入。
参考文献
角川日本地名大辞典 1 北海道
外部リンク
⇒泊村公式サイト
⇒神恵内村公式サイト
⇒ふるさと発見事業
関連項目
松前藩
箱館奉行
和人地
商場(場所)知行制
場所請負制
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