この項目では、紀元前8世紀から紀元前4世紀のギリシア語について説明しています。
ヘレニズム時代の共通ギリシア語については「コイネー」をご覧ください。
古代ギリシアの文化・文明全般については「古代ギリシア」をご覧ください。
古代ギリシア語
ΕΛΛΗΝΙΚΗ
ホメーロス『オデュッセイア』の冒頭
話される国古代ギリシア
消滅時期紀元前4世紀までにコイネーが発達
言語系統インド・ヨーロッパ語族
ヘレニック語派
古代ギリシア語
表記体系ギリシア文字
言語コード
ISO 639-2grc
古代ギリシア語(こだいギリシアご、?λληνικ?、希: Αρχα?α ελληνικ? γλ?σσα)は、ギリシア語の歴史上の一時期を指す言葉。古代ギリシアの、アルカイック期(紀元前8世紀 - 前6世紀)、古典期(前6世紀 - 前4世紀)、ヘレニズム期(前4世紀 - 後6世紀)の3つの時代に跨がっており、様々な方言が存在し、古典ギリシア語もその一つである。 古代ギリシア語は、その後のヨーロッパ諸言語に最も影響を与えた言語の一つである。ホメーロスの叙事詩、劇作家、ペリクレス時代の哲学者、『新約聖書』等がその証左と言えよう。また、「民主主義(democracy)」のような不可欠な語も含め、英語の語彙に多大な影響を与えてもいる。ルネサンスから20世紀初頭にかけては、西洋の教育制度において標準的な科目となっていた。学名に用いられている新ラテン語(近代ラテン語)には、今日でも古代ギリシア語からの語彙の引用が精力的になされている。 ヘレニズム期の古代ギリシア語はコイネー(「共通語」の意)、あるいは聖書ギリシア語として知られ、その後期の形が中世ギリシア語に変異していった。初期のコイネーは古典期との共通点も多いが、ギリシア語の歴史の中では独立したものとして扱われる。コイネーより前の、古典期やそれ以前のギリシア語にはいくつかの方言が存在した。ミケーネ文明期のミケーネ語(前1600年?前1100年)は、古代ギリシア語(前8世紀-前4世紀)に先行する言語である。 ギリシア語の起源および初期の歴史は、同時代の史料が欠けており判然としない。そのため、いくつか仮説が存在する。初期のギリシア語的特徴を有する言語がインド・ヨーロッパ祖語から分岐(遅くとも紀元前2000年までに)してから紀元前1200年頃まで、どのような古代ギリシアの方言群が存在していたのか。どの仮説も概要は共通しているものの、細部で異なる。上記の時代で存在が証明されている[注 1]のはミケーネ語だけだが、歴史的方言とその背景に鑑みるに、全ての方言群が当時すでに何らかの形で存在していたとも考えられる。 古代ギリシア語の主な方言は、紀元前1120年(ドーリス人の侵入の時期)までには発達していたとされる。ギリシア文字によるはっきりとした記録が確認されるのは紀元前8世紀以降である。古代のギリシア人は、自身にドーリス人・アイオリス人・イオニア人という3つの主な区分があると考えており、それぞれ弁別的な方言を有していた。人目につかない山岳地帯のアルカディアと、学問の中心から離れたキュプロスを見落としていたという点を斟酌すれば、上記の区分は現代の歴史言語学の調査結果と酷似している。これは、方言の内実と変化を理解する上で非常に重要である。 西部: .mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 北西方言 アカイア方言 ドーリス方言 中部: アイオリス方言 アルカディア=キプロス方言 東部: アッティカ方言 イオニア方言 古代ギリシア語の各方言は以下のように分類される[2]。
概要
古代ギリシアの諸方言
歴史的方言の成立
分類と概要古典期のギリシア語方言の分布[1]
この図では分類不明:M マケドニア方言
西ギリシア諸方言
北西ギリシア方言群
アカイア方言
アイトーリア方言
ロクリス方言
ポーキス方言
エーリス方言
マケドニア方言北西ギリシア方言の一つ[3]。マケドニア方言は、北西ギリシア方言に影響を受けて変化したドーリス方言であるという説が最も有力である[4]。
ドーリス方言群
ラコニア(ヘラクレイア)方言
メガラ方言
アルゴリス方言
コリントス方言
ロドス方言
コース方言
テーラ=キュレナイカ方言
クレタ方言
東ギリシア諸方言
アイオリス方言群
小アジア=レスボス方言
ボイオティア方言 - 北西方言の強い影響下にあり、過渡期の方言だったとも考えられる。
テッサリア方言 - ボイオティア方言ほどではないものの、北西方言の影響を受けていた。
イオニア=アッティカ方言群
アッティカ方言
イオニア方言
西イオニア(エウボイア)方言
中部イオニア(キュクラデス)方言
東イオニア(小アジア=イオニア)方言
アルカディア・キュプロス方言群(英語版) - ミケーネ語の姿を色濃く残す。
アルカディア方言
キュプロス方言
パンピュリア方言小アジア南西部沿岸地域の一部(リュキアとキリキアの中間)で話されていた方言で、碑文にわずかに残されている。この方言は、異なる方言の区分か、あるいはドーリス人によって非ギリシア系原住民の影響を受けたミケーネ語のどちらかである可能性もある。
ギリシア語方言の分類は、西部と非西部というのが最も古くかつ有力である。非西部諸方言は「東ギリシア諸方言」と呼ばれることもある。
方言群の大半は、ポリスの領域ないし島に対応する形で、上記のようにさらに下位の区分に振り分けられる。たとえば、レスボス方言はアイオリス方言のひとつである。また、ドーリス方言はそのような細かな区分との間に位置する中間区分も有しており、島嶼ドーリス方言(クレタ方言など)、南ペロポネソス・ドーリス方言(スパルタのラコニア方言など)、北ペロポネソス・ドーリス方言(コリントス方言など)があった。
イオニア系以外の方言群は主に碑文によって把握されている。注目すべき例外はサッポーやピンダロスの作品だが、これらは断片的にしか現存していない。各方言群はまた、植民市によって独特に表現されることもあった。それら植民市は、時には開拓移民や近隣住民が話す異なる方言の影響を受けて、独自の発展を遂げた。
紀元前4世紀のアレクサンドロス大王の征服ののち、コイネーもしくは共通ギリシア語として知られる国際的な方言が発達した。コイネーは大部分でアッティカ方言が原型となっていたが、ほかの方言の影響も受けていた。古代の方言のほとんどは徐々にコイネーに入れ替わっていったが、ドーリス方言は現代ギリシア語のツァコニア方言として生き残っているほか、デモティキの動詞にもアオリストの形を残している。紀元後6世紀頃までに、コイネーは中世ギリシア語に変異していった。 日本語では「古典ギリシア語」という名称が広く知られているが、これは「古代ギリシア語」と同一の概念ではない。古典ギリシア語は、古代ギリシアの諸方言の中で最も代表的なものとなった古典期のアッティカ方言を指す呼称である。 紀元前5世紀頃までは散文の中心がイオニア地方であったため、イオニア方言が主に用いられていた(ヘーロドトスなど)。しかし、前5世紀後半からはアテーナイに優れた弁論家・文筆家(プラトーン、トゥーキューディデースなど)が多く現れ、さらに政治的にもアテーナイがギリシアの中心となったため、前4世紀頃にはアッティカ方言がギリシア世界の標準語となった。この頃[注 2]に用いられていたアテナイの言語を指して「古典ギリシア語」と呼ぶ。 ギリシア祖語以来、以下の音韻の変化はほぼすべての古代ギリシア語方言に見られる。 /w/, /j/ は脱落する傾向が強かったが、完全に消失していたわけではない。初期には母音の後ろにあるとき、その母音と結合して二重母音の形をとっていた。子音の後ろでの /h/ と /w/ の脱落は、直前の母音の代償延長に伴って起こった。一方、子音の後の /j/ の脱落には、直前の母音の二重母音化、口蓋化、子音のほかの変化など、多くの複雑な変化が絡んでいた。以下はその例である。 母音融合の結果は方言ごとに複雑であった。多数の異なる種類の名詞や動詞の屈折語尾に起こる融合は、古代ギリシア語文法の最も難解な面を体現している。母音融合した動詞の分類、名詞から作られた動詞、母音の屈折語尾において、このような融合は非常に重要になってくる。実際、現代ギリシア語では母音融合動詞の発達形(たとえば、古代ギリシア語の母音融合動詞を受け継いだ動詞の組み合わせ)が、動詞の主要な2つの分類を象徴している。 正書法は古い時代の特徴を残していたが、後古典ギリシア語の発音は古代ギリシア語から大きく変異した。古代の発音を完全に再建することはできないが、ギリシア語は特にこの時代からかなりの記録が残されており、音価の一般的な性質に関しても言語学者の間に見解の相違はほとんど見られない。 以下の例では、紀元前5世紀のアッティカ方言を代表として取りあげている。 母音のいくつかは長短の区別があった。また二重母音があった。 前舌母音後舌母音 /o?/ はおそらく紀元前4世紀までに [u?] に変化した。 代償延長に関しては、どの位置で発生したかで異なる見解がある。/a/ が [a?] と [??] のどちらになるのか、/e/, /o/ は半狭の [e?], [o?] と半広の [??], [??] のどちらになるのか、というのがその争点である。 古代文字(現代文字) 国際音声記号両唇音歯茎音軟口蓋音声門音 /p/ (τ) /t/ (κ)
古典ギリシア語
音韻の変化
音節主音的子音 /r/, /l/ は、ミケーネ語とアイオリス方言で /ro/, /lo/ に、それ以外の方言では /ra/, /la/ に変化した。ただし、共鳴音の前では /ar/, /al/ と発音された。例) インド・ヨーロッパ祖語の *str?-to- は、アイオリス方言では στρ?το? となり、他の方言では στρατ?? となった(どちらも「軍隊」の意)。
/s/に由来する/h/は、語頭を除き脱落した。また/j/ も脱落した。例) ドーリス方言 nikaas < *nikahas < *nikasas「征服した」、 τρε?? < *trees < *treyes 「3」
/h/, /j/ の脱落ののち、多くの方言で、 /w/ が脱落した。例) ?το?(etos) < ??το?(wetos)「年」
両唇軟口蓋音の多くが両唇音に変化した。一部は歯音や軟口蓋音にもなった。
/h/ と /j/ の脱落の結果(比較的影響は小さいが/w/ でも)、隣り合う母音の間で融合が起きるようになった。これはアッティカ方言で最も顕著な現象である。
融合などの影響で特殊なサーカムフレックス(曲アクセント)が作られた。
上記の制約とともに、アクセントを最後の3音節のいずれかに付すという規則が誕生した。
/s/ の前で /n/ が脱落し(ただしクレタ方言では不完全)、直前の母音で代償延長が起きた。
/pj/, /bj/, /phj/ → /pt/
/lj/ → /ll/
/tj/, /thj/, /kj/, /khj/ → /s/ - 子音の直後のとき。それ以外の場合は /ss/ か /tt/(アッティカ方言)。
/gj/, /dj/ → /zd/
/mj/, /nj/, /rj/ → /j/ - このときの /j/ は子音の前で置換され、直後の母音とともに二重母音をなす。
/wj/, /sj/ → /j/ - 同時に直後の母音を二重母音化する。
音韻論古代からヘレニズム時代にかけての変化については「コイネー」を参照
母音
非円唇母音円唇母音非円唇母音円唇母音
狭母音/i/ /i?//y/ /y?/
半狭母音/e/ /e?//o/ /o?/
半広母音/??//??/
広母音/a/ /a?/
代償延長
子音
破裂音無声無気音(π)
Size:50 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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