古代朝鮮語
[Wikipedia|▼Menu]

古代朝鮮語
新羅語
話される国
朝鮮半島
消滅時期10世紀または13世紀に中期朝鮮語に変化
言語系統朝鮮語族

古代朝鮮語

表記体系吏読口訣郷札朝鮮における漢字
言語コード
ISO 639-3oko
'"`UNIQ--templatestyles-00000002-QINU`"'Linguist List ⇒oko
Glottologsill1240
テンプレートを表示

古代朝鮮語(こだいちょうせんご、: Old Korean、朝鮮語: ?? ???, ????)は、記録された朝鮮語族の最初の段階であり[1]、統一新羅時代(668?935)の言語に代表される。

古代朝鮮語の時代区分については論争が続いている。言語学者の中には、三国時代の未解明の言語を古代朝鮮語の変種として分類する者がいれば、新羅の言語だけを指すにとどめる者もいる。伝統的に、935年の新羅の滅亡までが、古代朝鮮語とされている。最近では韓国の言語学者たちによって、古代朝鮮語の時代を13世紀半ばまで延長することが主張されるようになったが、この新しい時代区分はまだ完全には受け入れられていない。この項目では、10世紀以前の新羅の言語に焦点を当てる。

古代朝鮮語は用例に乏しい。現存する唯一の文学作品は、郷歌と呼ばれる10数編の方言詩である。郷歌は郷札で書かれている。その他、石碑木版に刻まれた碑文仏典の解説書、漢文で書かれた作品の中の人名地名の書き写しなどがある。古代朝鮮語の文字記録はすべて漢字に依存しており、朝鮮語の意味を表したり、音を近似させたりするのに使われている。そのため、現存する古代朝鮮語の文章の音価は不明瞭である。

古代朝鮮語の特徴については、資料の少なさと質の低さから、現代の言語学者には「僅かな輪郭[2]」しか見えないのが現状である。古代朝鮮語の音素は、中期朝鮮語よりも子音が少なく、母音が多かったようである。類型的には、中期・現代朝鮮語と同じようにSOV型膠着語であった。しかし古代朝鮮語は、節の名詞化の存在や、動詞の語幹用法など、いくつかの類型的な特徴において、中期以降とは異なっていたと考えられている。

アルタイ諸語、特に日琉語族との類似が指摘されているが、古代朝鮮語と非朝鮮語族との系統関係は証明されていない。

また、朝鮮語族から再構される祖語は朝鮮祖語(ちょうせんそご、: Proto-Koreanic)と呼ばれるが、これについても本項で扱う。朝鮮語族は比較的小さな語族である。現代にのこる変種の多様性は限られており、それらのほとんどは中期朝鮮語(15世紀)に遡るものとして扱われる。これは現代のほとんどの朝鮮語族の拡散は新羅による朝鮮半島の統一によるということを示す[3]。中期朝鮮語の内的再構によってさらに古くに遡ることは可能であり[4]、これは古代朝鮮語の断片的な記録の文献学的研究によって補われてきた[5]
歴史・時代区分576年の朝鮮半島の三国「高句麗語」、「伽耶語」、および「百済語」も参照

古代朝鮮語は、一般に新羅(紀元前57?936)の[6]、特に統一時代(668?936)の[7][8]、朝鮮語族の言語と定義される。

発見された最古の新羅碑文である441年か501年の漢文碑文にも、古代朝鮮語の意味論的影響が見られるかもしれない[9]。朝鮮語の構文や形態素は、6世紀半ばから後半にかけての新羅の文書で初めて目に見える形で証明され[10][11]、統一時代にはそうした現地語の要素がより広範囲に使用されるようになる[12]

当初は三国の一つに過ぎなかった新羅は、6世紀に法興王真興王の二人の君主のもとで台頭した[13]。さらに1世紀にわたる争いの後、新羅の王たちはと同盟を結び、660年に百済、668年に高句麗を滅ぼし、朝鮮半島の南3分の2を自らの支配下に収めた[14]。この政治的統合により、新羅の言語が半島の共通語となり、最終的に百済高句麗の言語は消滅し、後者の言語は後の朝鮮語の方言の基層言語としてのみ残されることになった[15]。このように、中期朝鮮語、ひいては現代朝鮮語は、新羅の古代朝鮮語の直接的な子孫である[16][17][注釈 1]

いわゆる朝鮮半島の三国(高句麗・百済・新羅)の中で新羅における文字の導入は最も遅かったと推測されるが、最初期の状況は詳らかでない。『梁書』「新羅伝」(7世紀初頭成立)には「文字無し」と伝えられるが、韓国語学者李基文は少なくとも国初には漢字の存在は知られていたであろうし、やがて高句麗と百済から漢字による表記を学んだであろうとする[20]

他の2つの王国の言語に関する資料はほとんど残っていない[21]が、ほとんどの言語学者は、どちらも新羅の言語と関係があったという点で一致している[22][23][24][注釈 2]高句麗語百済語を古代朝鮮語の変種として分類するか、関連はあるが独立した言語として分類するかは意見が分かれるところである。李基文S・R・ラムゼイは2011年に、相互理解の証拠は不十分であり、言語学者は「3つの言語の断片を3つの別々のコーパスとして扱う」べきであると主張した[27]。2000年、ラムゼイと李翊燮は、3つの言語がしばしば古代朝鮮語としてまとめられているが、「明らかな非類似性」あるとし、新羅語を「本当の意味での」古代朝鮮語と認定している[28]。一方、南豊鉉やアレキサンダー・ボビンは、三国の言語を古代朝鮮語の地域方言として分類している[24][29]。李丞宰などの他の言語学者は、高句麗の言語を除いて、新羅と百済の言語を古代朝鮮語としてグループ化する[30]。Linguist List(英語版)は新羅を古代朝鮮語の同義語としているが、この用語が「3つの異なる言語を指すのによく使われる」ことを認めている[31]開城や、新羅の首都慶州を含む、朝鮮史上の首都

新羅は8世紀後半に長期的な衰退を開始した。10世紀初頭には、朝鮮半島は再び新羅と地方豪族が建てた二つの新しい王国の三つに分かれて争うようになった。高麗は935年に新羅の朝廷を降伏させ、翌年には朝鮮半島を統一している[32]。以後、高麗の政治・文化の中心は、朝鮮半島の中央部に位置する高麗の都、開京(今の開城)となった。威信(英語版)方言も、新羅の東南部の言語から、中央の開京の方言へと移行したのである[16][17]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:225 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef