古代ギリシャ哲学
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アテナイの学堂ラファエロ・サンティオ
1509-1510、フレスコ、500 × 770 cm、バチカン市国
古代ギリシアの叡智の人の群像が描き出されている。

ギリシア哲学(ギリシアてつがく、ギリシャ哲学)とは、かつて古代ギリシアで興った哲学の総称。現在でいう哲学のみならず、自然学物理学)や数学を含む学問や学究的営為の総称である。
概要

ディオゲネス・ラエルティオスはギリシア哲学の起源を、アナクシマンドロスから始まるイオニア学派(厳密にはミレトス学派)と、ピタゴラスから始まるイタリア学派(ピタゴラス教団のこと)に大別し、ソクラテス(ソクラテス学派)やプラトン(古アカデメイア学派)は前者の系譜で、パルメニデスゼノン(ともにエレア派)、エピクロスエピクロス学派)らは後者の系譜であると主張している[1]。さらにディオゲネス・ラエルティオスは、哲学には自然学倫理学論理学の三つの部門があり、まず自然学が発達し、次いでソクラテスが倫理学を加え、ゼノンが論理学を確立し、倫理学にはアカデメイア学派、キュレネ学派、エリス学派、メガラ学派、キュニコス学派、エレトリア学派、詭弁学派(ソフィストなど)、逍遙学派(ペリパトス学派)、ストア学派、エピクロス学派という10の学派があったとも主張している[2]

どこまでをギリシア哲学の範囲に含めるかは自明ではない。ギリシア哲学は後にシリア語・アラビア語にも取り入れられ、イスラム哲学において重要な役割を果たしている。また、ギリシア語・ギリシア哲学は東ローマ帝国にも受け継がれ、東欧ロシアにも伝わっているが、通常これらは(ギリシア哲学を含む)西欧哲学の範疇から外されている。ローマ帝国の哲学はギリシア語を使っていても、ローマ哲学と呼ばれることがある。「ギリシア」の範疇も明確ではない。ギリシア本土だけではなく、小アジアシチリアもギリシア哲学者が数多く輩出されていた。それでもヘレニズム期まではギリシア語ギリシア神話を共通基盤としていたが、アレクサンドロス大王以降はギリシア語を母語としない哲学者も輩出された。さらに哲学の中心がシリアエジプトに移り、ギリシア語は東地中海世界のリンガフランカとなって、『新約聖書』にも使用された話し言葉コイネーが普及した。古代末期にはギリシア語が堪能でないアウグスティヌスのような哲学者もいた[3]

哲学の意味も明確ではない。哲学がジャンルとして成立したのは前4世紀半ばであり、それ以前に活躍した知識人は哲学者・詩人・政治家・歴史家・医師などに分類された。その結果、ソロンヘロドトストゥキュディデスヒポクラテスアリストファネスらとその学派は倫理的言説が残されていても哲学者の範疇から外された[3]
名称

「哲学(ギリシャ語:Φιλοσοφ?α, philosophia, ピロソピア)」および「哲学者(ピロソポス)」という言葉を最初に用いたのはピタゴラスであると言われる[4][5]。「哲学者」を含めた「知者(ソポス)」は「ソフィスト(ギリシャ語:σοφιστ??, sophistes, ソピステス)」とも呼ばれ、詩人もこれに含まれた[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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