古代エジプト医学
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負傷者の診断・手当についてなど、古代エジプト医学について書かれたエドウィン・スミス・パピルス(推定紀元前2,600年ごろ)

この項目では、古代エジプトの医学、すなわち紀元前33世紀ごろからアケメネス朝の侵略(紀元前523年)に至るまでの古代エジプトで広く行われていた医学について解説する。エジプト医学は時代を考慮すればきわめて高度に発展しており、単純な非侵襲性の外科手術接骨・広範な薬局方などが含まれていた。古代エジプトの治療法は現代文化の中では「まじない」や怪しげな成分などでイメージされることも多いが、生物医学上のエジプト研究によって、多くの治療法が効果的であり、また既知の処方のうち67%が1973年のイギリス薬局方に適合していたことが示された[1]。古代エジプトの医学書には、診察診断予後・処置のそれぞれについて理性的で適切な記述もしばしば書かれている。目次

1 情報源

2 実践

3 魔術・宗教

4 医者・その他の癒し手

5 脚注

6 参考文献

7 外部リンク

情報源 エーベルス・パピルスによる癌の処置法。

19世紀まで、古代エジプト医学に関する情報源は新しい年代の書物であった。ホメロスは、紀元前800年ごろに『オデュッセイア』の中で「エジプトの人々は、あらゆる人間の中で最も医学にすぐれている」、「エジプト人たちは、他のどんな技術よりも医学にすぐれている」と記している[2]。ギリシャ人の歴史家ヘロドトスは紀元前440年ごろにエジプトを訪れ、エジプト人の医学技術への広範な観察を書き記しており、大プリニウスもまた歴史的観点から好意的に記している。ヒポクラテスヘロフィロスエラシストラトス・後にはガレノスもアメンホテプの神殿で学んでおり、古代エジプト医学からギリシャ医学への貢献を認めている。

1822年、ロゼッタ・ストーンの解読によって、古代エジプトの碑文やパピルス上のヒエログリフの解読が可能になった。これらの中には医学に関する事柄が多数含まれていた。この結果19世紀に生じたエジプト学への関心が、エドウィン・スミス・パピルスやハースト・パピルスなど、紀元前3000年にまでさかのぼる古代医学文献のさらなる発見につながった。

このうちエドウィン・スミス・パピルスは解剖学上の知見や、数多くの病気についての「実験・診断・処置・予後」に関する外科の教本である ⇒[2]。紀元前1600年頃に書かれたとみられているが、数点の先行するテキストの写本であると考えられており、医学情報自体の年代は紀元前3000年までさかのぼる ⇒[3]エジプト第3王朝イムホテプは、これらのパピルス文書の著者、および古代エジプト医学の創始者であると考えられている。歴史上初の外科手術は、紀元前2750年にエジプトで行われた。

エーベルス・パピルス1550年頃)には、877の処方の他に、まじないや非衛生的な処置法も多く含まれている[3]。いまだ理解が進んでいない古代の医学用語の解釈が正しければ、エーベルス・パピルスの記述の中には、腫瘍に関する史上初めての記述が含まれている可能性がある。その他の情報源としては、エジプトの墳墓の壁画や、それに付随する碑文などがある。現代の医学技術の進歩も、古代エジプト医学の理解に役立った。古病理学(en:Paleopathology)者たちは、X線撮影や後にはCTスキャンによってミイラの骨格や臓器を調べることができた。電子顕微鏡質量分析法などの様々な法医学の技術により、4000年前のエジプトにおける健康状況の観察が可能になった。
実践 プトレマイオス時代、コム・オンボ神殿碑文に描かれた古代エジプト医療器具

古代エジプトの医療知識の評判は高く、他の王国の支配者はファラオに、最高の医者の派遣と寵愛する者の処置を要請することもあった[4]。エジプト人は人体の解剖は全く行わなかったにもかかわらず、解剖学についての知識を持っていた。例えば古代のミイラ製作のプロセスの中で、ミイラ技師は鼻孔から長い鉤状の器具を挿入し、頭蓋の薄い骨を破って脳を摘出する方法を知っていた。また体腔におさまった臓器の位置に関する大まかな知見もあったようで、左鼠蹊部の小さな切り込みから内臓を摘出している。しかしこれらの知識が、治療に当たる医者に渡っていたのかどうかは不明で、また医者たちの医学理論にはあまり大きな影響はなかったようである。

エジプトの医者は脈拍の存在、および脈拍と心臓の関係に気づいていた。エドウィン・スミス・パピルスの著者は、心臓の機能についてさえ大まかに知っていた。ただし循環系については把握しておらず、また血管・腱・神経の区別はできなかった(もしくは重要と考えていなかった)。医者達は空気・水・血を運ぶ「水路」について、ナイル川にたとえた理論を作り上げた。すなわち川がつまると作物は活力を失う、という原理を人体に適用したのである。具合の悪い人間に対して、エジプトの医者は「水路」のつまりを解消するため瀉下薬を用いた[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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