古代エジプトの宗教
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古代エジプトの宗教(こだいエジプトのしゅうきょう)では、古代エジプトで信仰されていた宗教について述べる。

古代エジプトには様々な種類の自然の力を象徴する様々な神々があり、古代エジプト人は、全ての自然の動きと原理に神々の力が作用すると見ていた[1]
エジプト原始王朝時代(黎明期、北エジプト、南エジプト)
バダーリ文化期

雄牛の姿をした女性の小像が、男女の遺体と共に副葬されたが、象牙で粗く作られて男性の姿の小像は、後代の埋葬まで発見されていない。この小像は母なる女神に捧げられたものであるが、果たした役割や名前も、未だ明らかではないものの、この女神に対する信仰がこの時期に大きな影響力を持ち、広く人々の間に浸透していたことは疑いない。

また、上記の小像とは別に、ガゼルやカバ、ウシ、ブタ、雄牛の頭、ワニ、ハエ、魚、ヘビ、ライオンそしてセト神の動物など様々な種類の動物の副葬品も出土している。ナカダ2期(英語版)の終わりには、王を象徴するハヤブサの姿もこれに加わった[2]
ナカダ2期

ナカダ2期の彩文土器の表面には、雄牛の姿をした女性の姿をした旗印を掲げた何隻かの舟が描かれており、そこでは、この女神は、人間の頭と雌牛の角とを持った雌牛の姿をとって、その息子であり愛人でもある若い配偶者を伴っている。彼は、後の時代になると、「彼の母の雄牛」として知られ、王朝時代に入り、彼が豊饒の神であるミン神に発展したのではないかと言われている。先王朝時代の容器の一つには、彼らの神聖な結婚の様子が描かれており、一方儀式の踊りが描かれていたものもあり、これは古代の豊作を祝う祭の場面と思われる。この女神もその配偶者も共に、おそらくは、土地の豊饒や穀物、住民たちなどと密接な関係を持つ神々と見なされていたのであろう。彼らは、生命や死、再生の円環を通じて、来世における生活にも力を持つものと考えられていたようである。

また、この時期から支配者達が特別な力を持つ魔術師として見なされていたことを示していると思われる、いくつかの道具類が大きな墓から発見されている。しかし発見された道具類が、どのように使用されていたのか具体的に知ることはできない。

同時代の終わり頃、政治や宗教において異なる習慣を持った人々を統一し、国家統一への土台を気付いた。それぞれの地域の人々は、一人の首長によって支配され、偶像や象徴の形で表現されていた独自の神を崇拝していた。

その中にあっても、南北両地域で信仰された神々も存在した。しかし政治が発展し、村落が集まって部族を形成し、ノモスという地域に発展した結果、部族の神々が寄り合わさり、ある神は同化し、ある神は他神の追従者となり、ある神は消失していった。

北の王国(下エジプト)は、デルタ地方に中心に治めていた。王国の中心は、コブラの女神ウアジェトが崇拝されていたデプの町(後のブト)の近くのペの王宮であった。赤い国として知られており、その支配者は赤い冠を戴いていた。

南の王国は、アトゥフィーフからジャバル・アル・シルシラまでを治めていた。白い国として知られた南の王国の首都は、エドフの近くネケン(後のヒエラコンポリス)にあり、その守護神はハゲワシの女神ネクベトであった。南の支配者は白い冠を戴いていた。

統一後も、はこれらの王冠を戴いていた。王冠は、時と場合に応じて被り分けられたり、王の力が南北に行き渡っていることを示すために、二つの王冠を組み合わせた二重王冠を付けたりした。また、国家統一後、ウアジェト女神とネクベト女神は、エジプト王家の守護神となった。

また、南北両地域において、人々が死後を信じる独特の信仰を発展させていったこと、そして、この死後の生活は現世の生活とほぼ同じように考えられていたことなどが明らかとなっている[2]
エジプト初期王朝時代(第1 - 2王朝)

紀元前3150年頃、ナルメル王がエジプトを統一した。首都を南のティスの町から、後に「メンフィス」として知られるようになる北の新しい町へと移した。この頃既に王は絶対王権を持ち、王家の守護神であるハヤブサの神ホルスと同一視された。王はホルスの現世での化身と見なされ、生きている間はホルスの称号を帯び、死ぬと、この称号は後継者に引き継がれた。

幾つかの神々は、スコルピオンやナルメルの援軍として、初期のメイス・ヘッドやパレットに描かれている。これらの神々は、初期王朝時代以前から信仰されていた。

ミン - コプトスやアクミームを信仰の中心とする、男根を持つ豊穣の神

ウプワーウト(初期は戦争の神、後に死者の神になった) - 「道を開く者」という意味を持つアスユートの狼神

アヌビス - 死者の神であり冥界の守護神である山犬の神

トート - 書記と学問の守護神である月の神

プタハ - 運命を司る神であり、また天地創造の神。初期王朝時代にメンフィスで崇拝された。常にこの神はミイラの姿で表されていたが、豊穣の神である聖牛アピスとして見られ、またソカル神との関係を通して、葬送の神ともされた。

初期王朝時代から出現した重要な女神には、

ウアジェトとネクベト女神 - 南北両地域の守護神

ネイト - 狩猟と戦争の女神

セシャト - 文字の女神

などがいた。

第一王朝時代の頃には、すでにオシリスとイシスに対する信仰がエジプトに存在していた。
セトとホルスの神話

セト信仰の中心は、統一前の時代、上エジプトの町、ヌベト(オンボス)であったらしい。この段階では、今知られているような悪神的性格は何も持っていない。

ホルスに関しては、エジプト統一直前には、南北両地域の住民がホルスを崇拝していた。後のトリノ・パピルスによると、ナルメル王以前の両地域の王たちは、「ホルスに従う者」と呼ばれ、最高神であるハヤブサの神を彼らの守護神としていた。

ホルス信仰が盛んになると、セト信仰は衰退していった。
宗教儀式

初期王朝時代やそれ以前は、部族長が土地の神々のために儀式を行った。しかし時代が進むにつれて、儀式を執り行うのは、王やその代理人である最高神官が神殿で儀式を行った。

初期王朝前半には、王や貴族の埋葬の際に、来世で主に付き添い仕えるよう、女性や召使いが主と共に埋められたことが資料から明らかにされている。こうした習慣は、初期王朝時代に小像や模型を墓に入れる習慣へと徐々に変化していった。


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