古フランス語
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古フランス語(こフランスご、: Old French、: OF)は、8世紀から[1]14世紀にかけて、現在のフランス北部を中心に話されていたフランス語およびガロ・ロマンス語方言連続体

西ローマ帝国の崩壊(476年)以降、俗ラテン語は地域ごとに分化し、ガリア[注釈 1]の俗ラテン語はガロ・ロマンス語と呼ばれる方言群となった。フランス語はそうしたガロ・ロマンス語の一つであるが、古フランス語という際には現代フランス語の直接の祖語だけでなく、ガロ・ロマンス語の諸方言全体を指す。

14世紀にガロ・ロマンス語は、フランス南部のオック語との対比の上で、オイル語として認識されるようになった。ついで14世紀半ばには、オイル語のイル=ド=フランス方言[注釈 2]に基づいて中期フランス語[注釈 3]が生じた。その他の諸方言は、それぞれ独自の変化を遂げていった。

古フランス語が土着の言葉として話されていた領域は、おおまかにフランス王国の歴史的領土とその封臣領、ブルゴーニュ公国、さらにロレーヌ公国サヴォワ伯国を東限としたものである。全体としては現在の北仏および中央フランス、ベルギーワロン地域スイス西部、イタリア北部となる。しかし古フランス語の影響が及んだ地域はそれよりずっと広く、イングランドシチリア諸十字軍国家に当時の社会における支配階級の言語として、また通商の言語として伝播した[2][注釈 4]
分布範囲とヴァリエーション詳細は「オイル語」および「ガロ・ロマンス語」を参照

古フランス語の分布域は、フランス王国北部、上ブルゴーニュロレーヌ公国にあたる。フランス王国内のアンジューノルマンディーは、12世紀にはプランタジネット朝イングランドの支配下にあったが、言語は古フランス語であった。ノルマン・コンクエスト後には、古フランス語のノルマン方言イングランドアイルランドへ渡ってアングロ=ノルマン語となったほか、十字軍遠征の結果、シチリア王国アンティオキア公国エルサレム王国で古フランス語が用いられるようになった。

ガロ=ロマンス方言連続体(古フランス語)が俗ラテン語から勃興すると、それらガロ=ロマンス方言はまとめて「オイル語」として認識され、南仏の「オック語」(オクシタノ=ロマンス方言連続体。こちらも俗ラテン語から生じ、当時プロヴァンス語とも呼ばれた)と対比された。また、上ブルゴーニュは古フランス語圏だったが、新たにフランコ=プロヴァンス語(フランス語とプロヴァンス語双方の特徴を持つ)グループが発生しつつあり、早ければ9世紀には古フランス語と分離しはじめ、12世紀にははっきり別物となっていた。

古フランス語の方言

ブルゴーニュ語(英語版)(ブルゴーニュ地方):この当時のブルゴーニュ公国ディジョンを首都とする独立国だった。

ピカルディー語ピカルディー地方):主要都市にカレーリールがある。パリのノートルダム大聖堂の東の扉を開けると、そこはピカルディー語の通じるところ、と言われたほど影響力が強かった。

古ノルマン語ノルマンディー地方):主要都市にカーンルーアン。11世紀のノルマン・コンクエスト以後イングランドにはノルマン語を話す多数の貴族が渡った。英語に入ったフランス系語彙のうちで古い時代のものはおおむねこの古ノルマン語の影響を受けている。

ワロン語ワロン地方):現在のベルギーのワロン地域。中心都市はナミュール

ガロ語ブルターニュ地方):ブルターニュ公国のロマンス語。ブルターニュにはほかにケルト系ブルターニュ語があった。

ロレーヌ語ロレーヌ地方):ロレーヌ公国のロマンス語。ロレーヌにはほかにゲルマン系のロレーヌ=フランコニアン語(英語版)があった。

いわゆる現代フランス語の方言には、古典期(17世紀・18世紀のフランス語。ほぼ現代フランス語と等しい)以後のフランス語から分かれた方言だけでなく、各地の古フランス語が独自に発達したものもある。すなわち、アンジュー方言(英語版)、ガロ語(上掲)、サントンジュ方言(英語版)、シャンパーニュ語、ノルマンディー方言(上掲)、ピカルディー方言(上掲)、フランシュ=コンテ方言(英語版)、ブルゴーニュ方言(上掲)、ベリー方言(英語版)、ポワトゥー方言(英語版)、ロレーヌ方言(上掲)、ワロン語(上掲)などがそれである。
歴史
俗ラテン語からの変遷

古典ラテン語プラウトゥスの時代(前3世紀 - 前2世紀)から音韻構造が変化しはじめ、しだいに俗ラテン語(西ローマ帝国共通の話し言葉)になっていった。俗ラテン語は古典ラテン語とは、音韻面ではっきり異なったものとなっている。俗ラテン語は、古フランス語を含むロマンス語すべての祖先である。
ラテン語以外の影響
ケルト語

ケルト語の単語には、俗ラテン語に取り入れられることを通じてロマンス語に入ったものがある。古典ラテン語では「馬」は equus だが、これは俗ラテン語では caballus に替わった。現代フランス語には推定で200語ほどのケルト系語彙が生き残っている。

俗ラテン語の音韻変化を、ガリアの俗ラテン語話者がもともと話していたケルト語の影響によって説明する試みは、これまで1例しか成功していない。というのは、その1例のみはラ・グロフザンク遺跡(英語版)(1世紀)出土の陶器に記されたケルト語の銘文に実証されているのである。銘文には、paropsides というギリシア語が(ラテン文字で) paraxsidi と書かれているが、これは /ps/、/pt/ という子音クラスタが /xs/、/xt/ に変化したことを示している(語尾が -es でなく -i となっているのは活用形が異なるため)。
フランク語

古代末のローマ属州ガリアで話されていた俗ラテン語は、フランク族の話す古フランク語の影響によって、発音・語彙・統辞の面で変化した。ゲルマン系フランク族は5世紀からガリアに定着しはじめ、530年代には後の古フランス語圏全体を征服した。フランス France という国名や言語名 francais もフランク族に由来する。

古フランク語は古フランス語が誕生するにあたって決定的な影響を与えた。このことは、古フランス語最古のテキストが他のロマンス語のものより早く現れた理由の一つでもある。というのも、古フランス語は系統の異なるゲルマン系フランク語の影響を被ったため、早くからラテン語との乖離が激しく、相互の理解に障害が生じたからである。また、古オランダ語(英語版)もオイル語とオック語の差異の一因であると考えられており、ある時期までは北フランス各地でラテン語とゲルマン系言語の二言語状態が続いたが、それらの地域は古フランス語最古のテキストが書かれた地域とまさに一致するのである。フランク語はこの地の俗ラテン語の形を定め、他のロマンス諸語と比較すると非常に際立った特徴を与えた。最も代表的なものに、ラテン語の高低アクセントがゲルマン系の強勢アクセントに替わったこと、その結果として母音が二重化したこと、長母音と短母音の弁別、無強勢音節の欠落、語尾の母音の欠落がある。さらに、俗ラテン語からは絶えて久しかった2つの音素 [h]、[w] が再び持ち込まれた。

現代フランス語においても、ゲルマン系語彙は依然として15%ほど存在すると推定されている[3]。現代フランス語はラテン語やイタリア語から多数の借用を行っているため、この割合は古フランス語ではさらに大きかった。


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