.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 鹿児島県 > 熊毛郡 > 屋久島町 > 口永良部島
口永良部島
口永良部島の地形図
所在地 日本
所在海域東シナ海
所属諸島薩南諸島・トカラ列島
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯30度28分0秒 東経130度11分0秒 / 北緯30.46667度 東経130.18333度 / 30.46667; 130.18333
口永良部島(くちのえらぶじま[1])は、屋久島の西方約12kmに位置する島で、鹿児島県熊毛郡屋久島町に属する。
近隣の屋久島や種子島などとともに大隅諸島を形成し、島はひょうたん型をしており全域が屋久島国立公園となっている。温泉が豊富にあるほか、島の周辺は魚釣りのポイントも多いため、1年を通して観光客が訪れている。
住所表記は全域で「屋久島町大字口永良部島」。島の名前は「くちえらぶじま」と呼ぶ場合もあり、住所の読みもこちらを採用している[1][2][3]。
火山島であり火山噴火予知連絡会によって火山防災のために監視・観測体制の充実等の必要がある火山に選定されている[4]。 データは、SHIMADAS(2000年国勢調査などのデータ)ほかによる。口永良部島屋久島本集落から見た活火山の山々港と本村集落(町営フェリー船上より撮影)「立神」と寝待温泉の湯治小屋(左端)屋久島永田岳から望む口永良部島、新岳の噴煙が上がる新岳火口、2013年撮影 島の中心は港のある本村地区で、島の人口の大半が集中している。同地区には、役場出張所や商店、学校、ガソリンスタンド等が立地している。 国土地理院地図(抄)。陸繋した浜辺や海礁上の小岩、無名の岩を除く。 口永良部島は、薩南火山群島最大の火山島で、気象庁による『常時観測火山』に指定されている。複数の安山岩質の火山からなり特に東側の火山は新鮮な火山で仁田尾山 (526m)・三角点山 (600m)・古岳 (657m)・新岳 (626m) があり、古岳火山南西から南東山麓には複数の安山岩質溶岩流が発達する。新岳の火口は直径200m。古い火山体である西部の番屋ヶ峰(291m)は新岳火口から北西に 4.7km 離れており、元NTT施設を改修した避難場所がある。 活動開始時期は不明で、50万年前頃までには海面上まで成長していたと考えられている。高堂森火山は約10万年前頃までに、野池火山の主部は約1万年前ごろまでに形成され、15,000年前から11,000年前にかけて2回の大規模な火砕噴火を生じた。
地勢
面積:38.04km2
周囲:49.67km
長径:12km
最大幅:5km
最高点:657m(古岳)
人口:137人
世帯数:82戸
集落
本村(ほんむら)
新村(しんむら)
前田(まえだ)
田代(たしろ)
向江浜(むかえはま)
白辻(しらつじ)
湯向(ゆむぎ)
寝待(ねまち)
かつての集落
七釜(ななかま) - 明治末の硫黄鉱山操業により形成、1933年の噴火で無人化[5]。
岩屋泊(いわやどまり) - 明治半ばに喜界島からの移住者が開墾、1955年頃無人化[5]。
永迫(ながさこ) - 終戦後開墾、1967年頃無人化[5]。
小島・岩礁
立神 - 野崎沖。
海老ヶ根瀬、西小島 - 高崎。
口永良部島の空中写真。2009年3月11日撮影の29枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
火山
噴火史
Size:95 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef