この項目では、詩歌の一種について説明しています。L'Arc?en?Cielのシングルについては「叙情詩 (曲)」を、川端康成の小説については「抒情歌 (小説)」をご覧ください。
抒情詩(じょじょうし、英語: lyric, lyric poem, lyric poetry)は、詩歌の分類の一種。詩人個人の主観的な感情や思想を表現し、自らの内面的な世界を読者に伝える詩をいう。叙情詩(じょじょうし)とも表記するが、「汲み出す」の意味から「表現する」を表すようになった漢字「抒」を使うのが本来的である。叙事詩と劇詩とともに詩の三大区分の一つである。
抒情には、直接内面を表現するもの、風景に寄せて内面を表現するもの、事物に託して内心を表現するもの、歴史的事件や人物に寄せて内面を表現するものなどさまざまな方法がある。 西洋の伝統で、最も人気のある抒情詩の詩形は14行のソネットだが、それ以外の詩形も抒情詩に使われる。バラードやヴィラネルなどである[1]。 古代のヘブライ語詩は、その効果を出すために、繰り返し、頭韻法、交錯配列法を使った。ギリシアやローマの古典詩は定められた韻律やストロペで書かれたが、ピンダロスの頌歌は、リルケの『ドゥイノの悲歌』といった現代の詩同様に、押韻と韻律に慣れた耳には形式がないように聞こえる。 場合によっては、形式と主題が結合する。たとえば、宮廷風恋愛をうたったオーバドでは、恋人たちは一夜を明かした後、たいていは見張り役から夜明けが来たことを告げられ、別れを強いられる。 抒情詩形式が一般的に用いるのが、それぞれのストロペの終わりか続きにつく1行ないし数行のリフレインである。リフレインは詩全体を通して、厳密にか、あるいはちょっとした変化をつけられ、繰り返される。 抒情詩のほとんどは、特定の脚韻に基づいた規則的な韻律を使っている。代表的な脚韻は以下の通りである。 中には、リフレインに別の韻脚を用いることもある。 古代ギリシア人にとって、抒情詩は細かく専門的な意味を持っていた。韻文はリラ(竪琴)の伴奏つきで歌われていた。抒情詩人は(歌うというより喋る)劇の作家、(朗読される)長短格および短長格の韻文の作家、(竪琴よりも笛の伴奏がつくことが多かった)エレゲイア詩人、それに叙事詩人らとは、厳密に区別されていた[2]。ヘレニズム期アレクサンドリアの研究者たちは、アルカイック期の音楽家=詩人のうち、サッポー、ピンダロス、アナクレオン、アルカイオスらを、批評する価値のある9歌唱詩人とした。古代ギリシアで歌われる韻文に特徴的な韻律形式は、ストロペー、アンティストロペー、エポードスだった[3]。古代ローマの詩人カトゥルスはサッポーや、叙事詩から個人的なテーマに向かったNeoteroi 中国では、屈原や宋玉らの詩を集めた『楚辞』が、戦国時代の楚地方から起こった新しい詩形と定義される。この新しい詩形「楚辞」は、『詩経』の詩の中で使われた古典的な四言詩を捨てて、さまざまな長さの詩(六言ないし七言)を取り入れた。それにより多くの音律と表現の自由を与えた[4]。 10世紀のペルシア語詩が起源のガザルは、同じ押韻を持つ二行連とリフレインから成る詩形である。世紀詩には、全体を通して単一の韻律と単一の押韻で作られた短い抒情詩を含み、中心テーマは恋愛である。ハーフェズ、アミール・ホスロー、アウハディー・マラーギー、ミール・アリー・シール・ナヴァーイー、Ubayd Zakani
形式
韻律
イアンボス(短長格、弱強格)
トロカイオス(長短格、強弱格)
アナパイストス(短短長格、弱弱強格)
ダクテュロス(長短短格、強弱弱格)
抒情詩の歴史
古代アッティカの赤絵式カラトスに描かれたアルカイオスとサッポー(紀元前470年頃)ミュンヘン古代美術博物館 Inv. 2416
中世
中世およびルネサンス時代の西洋文学の抒情詩は、曲をつけられるために書かれた詩を単純に意味した。詩の特定の構造、機能、テーマはとくに決まりはなかった[5]。この時代の西洋の抒情詩は宮廷詩人と宮廷風恋愛の先駆者たちによって広く作られ、それ以前の抒情詩は参照されなかった[6]。自作自演の吟遊詩人トルバドゥールたちによって始められ、11世紀に全盛を迎え、13世紀にも模倣された。
トルヴェールたちは、トルバドゥールたちの影響を受けた、ほぼ同時代の詩人=作曲家だが、北フランス方言で作品を作った。クレティアン・ド・トロワがその代表である。
この時代のドイツ語抒情詩の支配的形式は、ミンネザングである。「恋愛抒情詩は、本質的に騎士と高貴な淑女との間の架空の関係を基礎においた」[7]。最初はフランスのトルバドゥール、トルヴェールの抒情詩の模倣だったが、すぐにミンネザングは独特の伝統を確立するにいたった[8]。
バジャン(Bhajan
)またはキルタン(Kirtan)はヒンドゥー(Hindu)の短い祈祷の歌である。バジャンはしばしば神への愛を表現するのに叙情的な言い回しを使った。カビール、スールダース(Surdas)、トゥルシーダース(Tulsidas)らがその代表者である。この時代のヘブライ語の歌手=詩人には、イェフダ・ハレヴィ、ソロモン・イブン・ガビーロール、アブラハム・イブン・エズラらがいる。
散曲は、中国の金朝に始まり、元・明朝まで続いた詩のジャンルである。馬致遠、関漢卿らが雑劇を確立させた作家たちである[9]。この詩は土地言葉ないしは半分土地言葉で書かれていた。
イタリアではペトラルカが、ジャコモ・ダ・ランティーニ(Giacomo da Lentini)やダンテが『新生』で広く用いたものを受け継ぐソネットを発展させた。1327年、アヴィニョンの聖クレア教会でラウラという女性を見たことがペトラルカの中に永遠の愛を起こさせ、「Rime sparse」でラウラを賛美した。後に、ルネサンスの詩人たちは、366篇の詩をおさめた『カンツォニエーレ』(Il Canzoniere)と題された詩集のペトラルカのスタイルを真似た。ペトラルカの詩のラウラの写実的な描写は、トルバドゥールや宮廷風恋愛の常套句とは対称的である。 イングランドでは、トマス・キャンピオンがリュート歌曲を書き、フィリップ・シドニー、エドマンド・スペンサー、ウィリアム・シェイクスピアはソネットの大衆化に寄与した。
16世紀