この項目では、仏教用語の受(じゅ)について説明しています。受けについては「うけ」をご覧ください。
仏教用語
受, ヴェダナー
パーリ語?????
(vedan?)
サンスクリット語?????
(IAST: vedan?)
チベット語??????
(Wylie: tshor ba;
THL: tsorwa)
ビルマ語?????
(IPA: [wed?na]
パーリ仏典による六六経
処、入 (?yatana)
→ 受
・
ヴ
ェ
|
ダ
ナ
|
→ 渇
愛
・
タ
ン
ハ
|
六根
感覚器官<–>六境
感覚器官の対象
↓↓
↓触 (パッサ)
↓↑
識 (ヴィンニャーナ)
六根とは、目、耳、鼻、舌、体、心
六境とは、色(ルーパ)、音、匂い、味、触覚、意の知覚対象(法)
名色(ナーマルーパ)は、識(ヴィンニャーナ)により生じる
処(六根と六境と識)は、名色(ナーマルーパ)により生じる
触は、処(六根と六境と識)により生じる
感受(受, ヴェーダナー)は触により生じる
渇愛(タンハー)は受により生じる
受(じゅ)、ヴェーダナー (巴: 梵: vedan?)とは、人間の感受作用を意味する仏教用語。触れたことを感じることである[1]。
六識が六根を通じ六境に接触し、まずそれを感受すること[2]。肉体的、生理的に感じる「暑い」「痛い」などの感じの他にも、「苦しい」「快い」などの、心で知覚的に感じるものも含んでいる[3]。例えば、桜の木を見て「美しい」と感じること[4]。
仏教において、受は以下とされている。 人間の肉体と精神を5つの集まりに分けて示した五蘊(般若心経、阿含経などに言及)の一要素であり、説一切有部の五位七十五法のうち大地法(阿毘達磨倶舎論などに言及)、唯識派・法相宗の五位百法のうち有為法 - 心所法 - 遍行心所(成唯識論などに言及)の一要素。また、現実の人生の苦悩の根源を追求しその根源を絶つことによって苦悩を滅するための12の条件を系列化した十二因縁の第7番目の要素でもある[5]。
上座部仏教アビダルマにおける、7つの共一切心心所のひとつ
大乗仏教アビダルマにおける、5つの遍行心所のひとつ
説一切有部の五位七十五法のうち、有為法 - 心所法 - 大地法のひとつ
十二因縁における7つ目の要素[5]
五蘊のひとつ(行取蘊)
四念処のひとつ(心念処)
定義