取組
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出典検索?: "取組" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2013年12月)

取組(とりくみ)は相撲試合のこと。大相撲では「」ともいう。
概要

大相撲の歴史の中ではさまざまな制度の変遷があり、取組の編成方針についても一様ではないが、現行のルールの大前提としては、

各力士、1日最大1番のみ組まれる(
優勝決定戦を除く)。

必ず一対一の取組とする(江戸時代に行われていた五人掛けなどは行わない)。

同じ組み合わせの取組は1場所内で繰り返さない(優勝決定戦を除く)。

が挙げられる。
番数

現行の制度では、一場所の間で、十両以上は15番、幕下以下は原則として7番、相撲を取る。

1927年以降の番数変遷は以下の通り。春秋園事件および第二次世界大戦前後の混乱期に力士の数が激減した時は一定でないが、おおむね、十両以上は場所中全日、幕下以下はおおむね隔日のペースで、取組が組まれる。以下の表のうち、カッコで示された番数は、出場人数の都合で例外的に調整する場合の番数である。

場所幕内十両幕下三段目序二段序ノ口
1927.1011番6番
1932.28番5番4番
1932.310番6番
1932.511番6番
1933.111番6番
1937.513番7番
1938.513番7番
1939.515番8番
1944.510番5番
1945.67番5番
1945.1110番5番
1947.1111番6番
1949.113番12番
1949.515番(14番)
1952.115番8番(9番)
1953.315番8番(9番)
1960.715番7番(8番)

取組の編成

取組は、下記の取組編成要領等に基づき、本場所の進行と並行して、審判部による取組編成会議で編成されている。

会議の構成委員は、審判部長・審判部副部長・審判委員のうち進行中の取組に勝負審判として出場していない者、副理事、行司(書記として出席)である。開催場所は割場(審判部屋)。

取組編成会議で決定した取組は、行司が「巻」(いわゆる巻物)に記載してゆく[1]。取組順は、対戦する両力士のうち上位の者の番付順に、下位から順に並ぶようにする。但し三役以上は、初日と千秋楽は下位から順に、2日目?14日目は前日の取組順が最後だった者が最初となり他の者が順次繰り下がるローテーションで組まれる。また、取組上の東・西の割り振りは、二人の番付上の東西が異なる場合はそのまま割り振り、番付上の東西が同じである場合は、番付下位の力士が反対側の方に移る[注 1]

日本相撲協会公式ホームページの取組表は2020年1月場所までは、取組がある力士、勝負審判、土俵入り時間が掲載されていた(2020年1月場所初日取組表)。2020年3月場所からは、取組がある力士、勝負審判、土俵入り時間に加え、懸賞取組が掲載されている(2020年3月場所初日取組表)。
取組編成要領(1971年(昭和46年)7月施行)

以下、原文のまま掲載する[2]。第1条本場所相撲の取組は、取組編成会議において作成する。第2条取組編成会議は、審判部の部長、委員を以て組織する。監事は、取組編成会議に同席するものとする。第3条取組編成会議には、書記として行司を出席させることができる。但し、発言することは出来ない。第4条取組は、当分の間相撲部屋総当りにより編成するものとする。第5条取組は、本場所の初日の2日前に初日、2日目の取組をその後は前日に取組を編成し、発表するものとする。第6条取組は、段階別に番附順位により編成することを原則とする。但し、下位の力士をその成績により横綱大関と取組ませることができるものとする。第7条上の段階の力士に欠場者のあった場合は、下の段階の力士をその成績により上の段階の力士と取組ませることができるものとする。第8条病気、怪我等により欠場する力士が生じた場合、相撲部屋の師匠は即刻その旨を審判部長に届出なければならない。第9条欠場力士があった場合、審判部長は取組編成会議にその旨を報告し、取組編成を行うものとする。 但し、欠場者の届出が取組編成終了後の場合は、直ちに取組編成会議を開き改めて取組編成を行うものとする。
取組編成の傾向
幕内・十両

幕内の取組編成は、初日、2日目の分は初日の2日前に[注 2]、3日目以降の分は前日の午前に決定して発表する。令和時代になって以降は、千秋楽の分は14日目の全取組終了後に編成される。平成時代までは、14日目の夕方に編成されていた。2023年11月場所以降は14日目の分も13日目の全取組終了後に編成されるようになった。十両の取組編成は、初日の分は2日前に、2日目以降の分は取組とほぼ同時進行で編成される。

原則として幕内下位および十両の力士は初日は同地位の力士と対戦するように組み、おおむね序盤戦は番付の近い者同士で取組を編成する。逆に横綱大関は序盤戦に関脇以下の力士と対戦し(初日は原則として横綱と小結が対戦するのが慣例となっている)、千秋楽に同地位の力士と対戦することを慣例としている。

すなわち、最上位の東横綱は三役以上に2人ずつ在位する場合原則千秋楽が西横綱、14日目が東大関、13日目が西大関という具合になる。横綱対役力士、大関同士の対戦は原則として組まれることになっているが、幕内下位の力士が好成績を挙げて優勝争いに絡んできたときは、終盤にその力士を横綱や三役と組ませ、横綱、大関同士の取組の一部を飛ばす処置をとる(「割を壊す(崩す)」という)。また、幕内の優勝争いの展開によっては、横綱・大関同士の対戦順を入れ替えて、千秋楽まで優勝争いが続くよう配慮する場合がある。

土日にあたる初日、7日目、8日目には注目の取組(人気力士同士の対戦や、注目力士が横綱・大関と対戦する等)が組まれることが多い。大関同士の取組や横綱?大関戦は、通常は早くても中日(8日目)以降に割が組まれるが、横綱・大関の人数が多いときなどは7日目以前に組まれることもある。1972年(昭和47年)1月場所から翌1973年(昭和48年)11月場所まで、序盤から横綱、大関同士の取り組みが組まれた(エピソードの項参照)。
幕下以下

幕下以下の力士は、通常1場所7番しか相撲を取らない。原則として、初日か2日目に1番相撲、3日目か4日目に2番相撲を取り、12日目まで同様に6番相撲までを取り、ここまで2日間のうちいずれか1日の出場となる。7番相撲は13日目-千秋楽のいずれかに取る。よって1日の取組に登場する幕下以下の力士の数は、12日目までは幕下以下全体の出場力士の約半数、13日目以降は幕下以下全体の出場力士の約1/3の人数となる。何日か連続で相撲を取ることに関しては、通常は連続せず1日相撲を取るパターン(前後の日は取組なし)か、偶数日とその翌日の奇数日に2日連続で相撲を取るパターンかのいずれかとなる(ただし、後述のように例外的に幕下上位や序ノ口下位での対戦日ずらしや八番相撲といった調整が絡むと3日ないし4日連続で相撲を取るパターンも発生する場合がある)。偶数日の幕下の取組終了後に、翌日・翌々日の2日分の取組をまとめて編成し、13日目以降の分は12日目に3日分をまとめて編成する。全勝力士を多く出さないようにするため、幕下以下の取組編成は、原則としてスイス式トーナメント方式を取り入れており、オポネントはなし。

1番相撲は東西の同地位の力士同士を対戦させ、初日は奇数枚目同士(幕下東筆頭vs幕下西筆頭、幕下東3枚目vs幕下西3枚目、…)、2日目は偶数枚目(幕下東2枚目vs幕下西2枚目、幕下東4枚目vs幕下西4枚目、…)を原則としている。2番相撲以降は、原則として互いに番付の近い相星(同成績)の力士同士を対戦させる。即ち、2番相撲は1勝同士、1敗同士が対戦する。3番相撲は、2勝同士、1勝1敗同士、2敗同士が対戦する。以下同じく、休場者・部屋などの関係で原則通りの取組が組めない場合を除いて機械的に決められる。

これにより全勝力士の人数が番数消化に連れて半数ずつ減って行き、最終的に全勝力士(7戦全勝)は各段毎に1人前後に収まり、当該力士がその場所の各段優勝、若しくは優勝同点となる。ただし、全勝者の番付が離れ過ぎている場合には、星違いの対戦を組むこともある。ほぼ毎場所7戦全勝力士が出る三段目序二段より枚数が少ない幕下や序ノ口では、全勝力士が消え、6勝1敗の多人数(幕下では7-9人程度、序ノ口では3-5人程度)で優勝決定戦を行うことも稀にある。優勝決定戦の有無は千秋楽の進行に影響を与えるため、6番相撲を終えて優勝の可能性がある力士の7番相撲は全て13日目に組まれる(但し、平成に入ってから一時期6戦全勝力士の7番相撲を13日目、14日目、千秋楽に分散させていたことがあった)。
段違いの対戦などについて

休場者の発生により幕内の出場力士が奇数となったときの穴埋めや、いわゆる入れ替え戦などで、幕内下位力士対十両上位力士の取組が組まれることがあり、これは幕内の取組として扱われる。また同様の理由で、十両下位力士対幕下上位力士の取組が組まれることがあり、これは十両の取組として扱われる。十両対幕下の場合、十両力士と対戦する幕下力士は、12日目までの偶数日では番数が1番前倒しになる(奇数日には翌日の幕下の取組編成は行わないため、偶数日の十両の取組に出場する幕下力士は、前日(奇数日)の幕下の取組に出場した力士から選ばれる)。幕下以下でも同様に、幕下対三段目、三段目対序二段、序二段対序ノ口の取組があり、いずれの場合も上の方の地位の取組として扱われる。番付外(前相撲)の力士は序ノ口の力士と対戦することはないため、序ノ口以上の全出場者が奇数になった場合は、序ノ口下位で対戦する日をずらしたり、八番相撲を取らせたりして調整する。関取の13日目・14日目での休場により、幕下上位で八番相撲を取らせる場合もある。江戸時代には、番付上の表記で2段以上違う力士の対戦(上段対三段目など)もあったが、現在ではこのような対戦は組まれない。
取組回避要件

現在、本割では同じ部屋に所属する力士および4親等以内の親族との対戦は行われていない。なお優勝決定戦においては、同部屋や親族でも対戦させる。
所属先の区別によるもの


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