収容所群島
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『収容所群島』
(しゅうようじょぐんとう)
Архипелаг Гулаг

著者アレクサンドル・ソルジェニーツィン
訳者木村浩
発行日 1973年-1975年
発行元 YMCAプレス社
フランス
言語ロシア語
公式サイト ⇒www.solzhenitsyn.ru

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『収容所群島』(しゅうようじょぐんとう、ロシア語: Архипелаг ГУЛАГ, ラテン文字転写: Arkhipelag GULAG)は、ソ連作家アレクサンドル・ソルジェニーツィン記録文学

ソ連における、反革命分子とみなされた人々に対しての強制収容所グラグ(グラーグ)」への投獄、凄惨な拷問強制労働処刑の実態を告発する文学的ルポルタージュである。統制の厳しい本国では出版できず、1973年から1975年フランスで発売。各国語訳が進められた結果、人権上由々しき問題として大反響を巻き起こした。当然ながらソ連では禁書扱いされた。ソルジェニーツィン自身は、続刊が出版されている最中である1974年市民権を剥奪されて西ドイツ国外追放されている。

タイトルの「収容所群島」とは、広大なソ連領内の各地に点在する収容所の分布のありようを、大海中に点在する島々になぞらえた表現である。
内容

各章の題は木村浩訳。
第1部 牢獄産業
1 逮捕
「群島」へ死にに行く人々はまず逮捕される。
2 わが下水道の歴史
収容所に送られた人々の歴史は1917年に始まる。刑法
58条(国家への反逆罪)がもっともよく使われた。
3 審理
逮捕者の審理に使われる多くの拷問法。
4 秘密警察
「群島」へ人を送る取調官には、指令の正確な実行と無慈悲さが要求される。
5 初監房?初恋
囚人にとって最初の監房は、同類の囚人たちが初めて出会う場所である。
6 その年の春
1945年春、ドイツの捕虜になっていた兵たちは、ソ連帰国後に囚人となった。
7 機関室のなかで
判決は特別審議により決められる。正式な裁判ではない。
8 幼児期の法
1917-1920年の5つの公開裁判の紹介。
9 法は成人する
1920年代前半の5つの公開裁判の紹介。
10 法は成熟する
1920年代後半-1930年代の公開裁判の紹介。
11 死刑
死刑の歴史。臨時政府は1917年に死刑を廃止したが、1918年に復活。1937-8年の2年間には100万人近くが死刑になったという。
12 禁錮
収容所以外の禁錮刑もあった。有名人など、一般囚人に混ぜてはならない人々の刑として。
第2部 永久運動
1 群島の船
「群島」の島々の間を囚人は運ばれる。囚人車輌や護送車で。
2 群島の港
ソ連のほぼすべての町に中継監獄がある。そこは囚人が収容所の生活に順応するための準備の場所でもある。収容所では「一般作業」だけは避けるように作者は教えられた。
3 奴隷キャラバン
貨物列車、だるま船、徒歩による囚人輸送。
4 島から島へ
特別護送という方法もある。囚人と護送兵は、一般人の乗る列車にさりげなく相乗りする。
第3部 絶滅=労働収容所
1 オーロラの指
1918年7月の法務人民委任部の「臨時指令書」によって収容所群島が誕生した。
2 群島は海から浮び上がる
帝政時代からあった
ソロフキ島修道院監獄は、1923年に特別収容所になった。
3 群島は癌腫を転移さす
1928年から特別収容所はソロフキ島の外へ増殖をはじめた。最初の大事業として、1933年に白海運河が作られた。
4 群島は冷酷になる
群島の歴史で、いつが人間にとって最もつらかったか。戦時中に軍配があがる。
5 群島の基盤
群島の運営基盤として、差別食運用制度、作業班、インチキがある。
6 ファシストどもが運ばれてきた!
「ファシスト」とは58条違反者の別名。作者自身の経験を交え、収容所生活の第1日めを描写。
7 群島住民の生活
収容所では多く働けば配給食も増えるが、消費エネルギー増大の補充には足らない。つまり「大きな配給食が死をもたらす。」
8 収容所のなかの女性
収容所に年頃の新入女囚が来ると、男特権囚に誘われる。彼らの女になれば、暖かく、食べ物のある生活ができるのだ。
9 特権囚
特権囚とは一般作業を免れ、軽労働を職とする囚人。収容所から生きて出られる可能性が高い囚人。
10 政治犯の代りに
ソ連では政治犯の代りに、58条違反で多くの名もない人が収容所に入れられた。
11 忠誠派の人びと
正統派共産党員が逮捕される事もある。彼らはソ連自体がおかしいのではなく、自分の逮捕についてだけ何か間違いがあったのだと信じている。
12 密告
収容所の管理のために密告も奨励される。ただし資料が少なく、作者自身の経験が語られる。
13 一皮剥がしたら、もう一皮剥がせ!
収容所入所中に、さらにもう一期の刑期を宣告される事もある。特にそれが多かったのは1938年。
14 運命を変えること!
脱走を試みる囚人もいる。収容所周囲の現地住民はすすんで脱走者を捕まえた。当局による報酬が高額なので。
15 懲罰
囚人らはなんらかの理由をつけられて懲罰監房や、労働作業つきの懲罰構内に送られる。
16 社会的近親分子
社会的近親分子とは58条によらない、一般の犯罪者。58条組にくらべ優遇された扱いを受ける。
17 少年囚
1935年から12歳以上の犯罪者も収容対象になった。彼らは数日で「群島」に順応する。すなわち、力だけが正義であると知る。
18 収容所群島のミューズたち
収容所には文化教育部があり、素人演芸会や合唱会も企画される。
19 民族としての囚人たち
囚人がZ/K「ゼック」という民族を構成していると考えた論考。
20 犬の務め
収容所役人には共通の特徴がある。傲慢、専横、貪欲、好色、悪意、残忍。
21 収容所周辺の世界


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