反日運動
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鬼子、小日本など侮蔑用語を記載したプラカードを掲げる台湾台北のデモ隊

反日主義(はんにちしゅぎ、: Anti-Japanism[1])とは、日本に対して敵対または嫌悪する思想、主張、政策、行動をいう[2]。「抗日」、「反日」、および「反日感情」も参照
台湾の反日

台湾は、日本植民地時代の抑圧の歴史問題、尖閣諸島の領土問題、慰安婦問題、強い劣等感などから、古くから強い反日感情と日本に対する嫌悪感を抱いてきました[3][4]
中国の反日2012年の中国における反日活動 で襲撃された日本領事館駐香港日本領事館前で焼かれる日本国旗(2012年)

岡本隆司は「中国はなぜ反日になったのか?と問うこと自体がおかしい。中国は、歴史上ずっと反日だったのであり、何かのきっかけで反日に「なった」のではない。「倭寇」は実際には中国の貿易業者が多かったのに、日本だと決めつけて敵視する思考様式に反日の源流がみられる。『史記』以来の中国の史学はイデオロギーの表明であり、ありのままの事実から出発する近代歴史学が欠落しているのが、歴史認識問題の本質である。「正しい」歴史認識というスローガンがすべてを物語っている[5]」、と述べている。

拳骨拓史は「中国が反日教育に初めて着手したのは1928年5月、中国国民党南京において排日教育方針を決議したことに始まる(p.19)。中国が反日運動に狂奔する理由としては、中華思想と、日本に対する嫉妬心、多面的な視点がなく他人と視点や思想を共有できないこと、などがある(P.24)[6]」と述べている。

日清戦争中には、日本を「倭」、明治天皇を「倭酋」などと呼び、人種差別的なプロパガンダが行われ、中国にある日本の企業や商店が襲われる事件が相次いだ[7]

1908年辰丸事件による日本製品不買運動が起こり[8]、1928年には済南事件をきっかけに中国各地で「反日会」が結成させた。反日会は「奸民懲戒条例」を制定し、反日会の規則に違反した者に罰金を課したり、木製の檻に監禁して街路に曝す、等を行った[9]

1930年代には、徹底した反日教育、日本製品不買運動が初等教育から教えられ[10]、日本人に対する暴行、虐殺事件が中国各地で多発している(下記年表参照)。また、「漢奸狩り」(漢奸#日中戦争における「漢奸」 参照)として、日本に協力的とみなされた多数の中国人が虐殺された。

中国では日本を蔑視する(侮日)言葉として、小日本日本鬼子、などがある。憤青と呼ばれる若者たちが過激な主張や行動をすることがある。尖閣諸島問題では、中国側の運動は「保釣運動」と呼ばれ、各地で運動団体が作られている。中国の一部には沖縄も中国の領土だとする主張もある(中国人による沖縄県への認識参照)。韓国と同じく、慰安婦問題、靖国神社問題歴史教科書問題、なども問題になる。

王雪萍(東洋大学)は、中国の歴史教科書が日本の中国侵略の説明について、1980年代までは資本主義制封建勢力が結合した権力集団が責任を持つとしてきたが、1990年代以降、階級を分けて日本国内の矛盾を説明する内容がなくなり、戦争責任を日本という国家全体に帰するようになり、一部の軍国主義者一般国民を区別する方法をやめたことによって、反日デモの矛先が日本政府資産階級のみならず、一般国民にも向けられるようになったと分析している[11]

反日映画や反日ドラマ(抗日神劇)が多数作られている。また、中国でのサッカーの試合でたびたび反日行為がみられる(AFCアジアカップ2004#中国サポーターによるブーイング2007 FIFA女子ワールドカップ#エピソードAFC U-19選手権2010#中国人による反日行為参照)。


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