反日亡国論
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この記事で示されている出典について、該当する記述が具体的にその文献の何ページあるいはどの章節にあるのか、特定が求められています。ご存知の方は加筆をお願いします。(2019年6月)

反日亡国論(はんにちぼうこくろん)は、日本の新左翼である大森勝久が1970年代に主張した思想。アイヌ革命論など「反日」の立場から「日本を滅亡させる」べきとする。
概要

1970年代、大森勝久は新左翼の理論として太田竜窮民革命論アイヌ革命論などの影響を受け、更に梅内恒夫の手記「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」が、その理論的形成のきっかけとなった。

「反日亡国論」は、単に帝国主義戦争に反対する立場から自国の敗戦と革命を目指す「革命的祖国敗北主義」ではなく、また単に「明治以降の日本帝国主義が為した悪行」を批判するのでもなく、歴史をはるかに遡って日本国の建国や日本民族による歴史そのものを否定し、その絶滅を主張した[1]

この立場では、いわゆる「日本人」は、己が「抑圧者・犯罪民族」たる日帝本国人であることを充分自覚し、自己否定していかなくてはならない。日本は償いきれない犯罪を積み重ねてきた反革命国家であり、醜悪な恥晒し国家・民族であるので、日本を「祖国」と思うこと自体が最大の反革命思想であり、積極的に民族意識・国民意識を捨て去って「非国民」になれと説く[2]。そして反日亡国論を全面的に受け入れて反日闘争の闘士となることで、初めて「抑圧者・犯罪民族」という「原罪」から解放されるとする[1]
詳細
マルクス主義からの脱却

カール・マルクスは「共産党宣言」で「労働者には祖国はない」、「万国の労働者は団結せよ」と記し、将来の共産主義社会では「国家は死滅する」と記した。また第二インターナショナルのバーゼル宣言は、労働者が自国の帝国主義戦争に参加することを「犯罪」として「帝国主義戦争を内乱に転化せよ」と呼びかけ、これをウラジーミル・レーニンは支持した。

梅内恒夫の「共産主義者同盟赤軍派より日帝打倒を志すすべての人々へ」では、「今我々はマルクスを捨てよう」と説き、反日闘争を行うに当たっては、マルクス主義の既存概念に囚われてはならないとした。東アジア反日武装戦線では、「被植民地人民は、日本人プロレタリアをも「敵」として見ていること、この厳然たる事実の痛苦な確認こそ、反日思想の原点である」と主張し、「被植民地人民の反日感情」こそがマルクス主義に代わる基本原理だとした[3]

日本国家の「侵略性」レーニンの『帝国主義論(正式名称:資本主義の最高段階としての帝国主義)』では、その題名が端的に示すように、高度に発達した資本主義国家が、やがて「対外侵略性向」を帯びる帝国主義国家へと発展するとした。そのため日本の「侵略性」も、封建主義社会から資本主義社会への移行に成功したことによる副作用であり、これを克服するためには共産主義革命を起こして、天皇制などの「日本帝国主義の残滓」を除去し、新生「日本人民共和国」に生まれ変わることで、日本の「侵略性」は消滅するとされる[4]。しかし反日亡国論の場合、日本の「侵略性」は帝国主義国家になって初めて現れたのではなく、建国以来連綿と続く「伝統」であるため、単に「日本人民共和国」と改組するだけでは「侵略性」を除去したとは言えない[3]。最終的解決をするには、地球上から「日本」という国家を消滅させ、日本人の「邪悪な」血統を地上から完全に根絶し、「日本」を冠する如何なる形態の国家の復活も許さないとする[5]


階級的観点の否定マルクス主義などの国際主義では、国家や民族よりも階級を重視し、各国の労働者階級が連帯すべきとした。しかし反日亡国論では、「抑圧民族の労働者階級」は「抑圧民族の資本家階級」と同様に「被抑圧民族の労働者階級」に対する加害者であるとした。「労働者階級の連帯」を強調することは、「抑圧民族の労働者階級」の加害責任を免責するものであるとする[3]。東アジア反日武装戦線のメンバー黒川芳正の言葉で言えば、「階級的観点に立脚した反日帝」ではなく「階級的区分を内に含んだ反日」とされる[3]。そして自らの思想は「革命思想」とは別に「反日思想」とカテゴライズされるべきであり、従来の革命論からコペルニクス的転回を成し遂げた思想だと自画自賛している[6]

「日本」という国号について

日本」という国号は「陽出づる処の天子の国」を意味し、天皇制と不可分の存在である。中国の中華思想を受容するだけでなく、その元祖の中国をも「陽没する処の国」と蔑視する「ウルトラ傲慢帝国主義」を体現したのが「日本」という国号であり、ユーラシア大陸東端の弧状列島の地域を表す価値中立的な地名でないとする[7]
日本国の歴史的位置付け詳細は「日本原住民論」を参照

皇室の起源は騎馬民族征服王朝説に基づき大陸から渡来したとされる。つまり日本全土が侵略で得た征服地であるとする。「被征服民」は、やがて皇室に連なる「天孫民族」と同化し農耕民族となり、同化を拒否した一部「被征服民」は部落民となった[5]。中世以降も南北に着々と侵略を進めていき、明治になって「アイヌモシリ」や琉球王国を併呑し、内地における侵略を完了させた。このように、日本国の歴史はまさに「侵略と搾取の歴史」に他ならないとされる[3]。このような「侵略の伝統」があるからこそ、日本によるアジア・世界侵略が起こったのだとする[2]。また左翼歴史家の中には、「民衆史観」といって自由民権運動などの民衆から湧き上った政治運動を高く評価する者がいるが、これら民衆も所詮は「犯罪国家・日本」の構成員にすぎず、アイヌ琉球民族の犠牲の上に生活が成り立っているとし、これらの政治運動も全面否定している。1918年に発生した米騒動も植民地人民から米を収奪するきっかけを作りだした、単なる「米暴動」に過ぎないと切り捨てている[2]
日本文化の否定

反日亡国論では、日本文化に誇りを感じること自体が罪悪であり反革命であるとし、平安京遷都を成した桓武天皇を祭る平安神宮の放火事件を称揚した[2]
日本における労働運動の否定

戦後の高度経済成長により、大多数の日本国民が「ブルジョア的」な生活を享受できるようになったが、これらの原資は「世界中の人民から搾取された富」によって成り立っている。よって「生活改善運動」「賃上げ運動」に代表される日本の労働運動などというものは、「強奪品の分け前をもっとよこせ」という「略奪民族・日本人」の「心貧しき願望」の表れであり、反革命であるとする[2]


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