反ジェンダー運動
[Wikipedia|▼Menu]
「ジェンダーはもういらない」:2018年、リマでのプロライフマーチにおいて 「ジェンダーは死―それはアイデンティティ、魂、体を殺す」:ワルシャワでの「ジェンダーイデオロギー」に対するピケ、2014

反ジェンダー運動(英語: anti-gender movement)とは、ジェンダー・イデオロギー、ジェンダー理論、あるいはジェンダーリズムと呼ばれるものに反対する国際的な運動をあらわす用語である[1]。これらの概念には一貫した定義がなく[2]、さまざまな問題を含んでいる[1]。反ジェンダー運動のメンバーには、右翼右翼ポピュリスト保守キリスト教原理主義者が含まれる[3]。反ジェンダー運動のメンバーはLGBTの権利の一部と生殖に関する権利の一部に反対している[1][4] 。ジェンダー・イデオロギーという用語は「空っぽの記号」[2]とも表現され、「保守派カトリック教徒が軽蔑するものをすべて包括する用語」だとされている[5]

ジェンダー・イデオロギーという考え方の中には、社会を弱体化させようとする秘密の陰謀団が存在しているという主張が含まれているため、研究者たちによってモラル・パニック[6][7]あるいは陰謀論として表現されてきた[8]

欧州議会の報告書によれば、ヨーロッパにおける反ジェンダー運動の高まりは、主にロシアがスポンサーとなっている偽情報キャンペーンに関連があるものとされている[9]

1990年代に始まったカトリックの神学に由来する運動だが、この運動が注目されるようになったのは2012?2013年頃である[10]。同性婚やトランスジェンダーの権利に対する反対を含むことが多い。

歴史家のアンドレア・ペトは、反ジェンダー運動は古典的な反フェミニズムの一形態ではなく、「『新世界秩序』を確立するために開始された根本的に新しい現象」であると述べている[11]。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
用語

英語を母国語としない国々おいて、反ジェンダー活動家は「ジェンダー」という言葉の現地語訳の使用を避ける傾向がある。ジェンダーは外国発の概念であるという考えを強調するために、英単語genderを好んで使う[12]

ジェンダー・イデオロギーの概念には一貫した定義がなく[2]、さまざまな問題を含んでいる[1]。このため、研究者のステファニー・メイヤーとビルギット・ザウアーは「空の記号」[2]として、ポーランドの作家アニエスカ・グラフ(英語版)は「保守的なカトリック教徒が軽蔑するものすべてを表す包括的な用語」として表現している[5]。ジェンダー・イデオロギーという言葉や、互換的に使われるジェンダー理論やジェンダリズムという関連用語は、ジェンダー研究の学問分野と同等ではなく、その中で重要な論争や意見の相違が存在するものである。

反ジェンダー支持者はこれらの議論や意見の相違を知らないことが多い[13]

エリザベス・コレドールは「ジェンダー・イデオロギーは、ジェンダー、セックス、セクシュアリティに関する解放的概念に対する政治的・認識論的対抗手段として機能する」と書いている[14]。彼女はさらに、反ジェンダー運動は「ジェンダー・イデオロギー」のレトリックと、LGBTやフェミニスト運動内の既存の分裂を利用しようとする試みを組み合わせている、と付け加えている[14]

この運動は、「リベラル、グリーン、左派の政治家、女性の権利活動家、LGBT活動家、行政のジェンダー政策担当者、ジェンダー研究者」など、様々なアクターを「ジェンダー・イデオロギー」の担い手として非難している[15]
起源

反ジェンダー運動がいつ、どこで始まったかについては、さまざまな説がある。
1990年代半ばの国際会議起源説

反ジェンダー運動を研究するほとんどの学者は、その起源を[16][17]国連生殖に関する権利を認め始めた1994年の国際人口開発会議と1995年の世界女性会議の結果に対抗するための、カトリック教会内の1990年代の議論とみなしている[18][19][20][21][22]聖座は、この承認によって妊娠中絶が人権とみなされ、母性が委縮し、同性愛が正常であるように扱われることを恐れていたのである。「ジェンダー」という言葉は、「聖座によって自然な家族を攻撃し、不安定にする戦略的な手段として理解されていた」[18]。1997年、アメリカの反中絶ジャーナリストであるデール・オリアリーは、「ジェンダー・アジェンダ」と題する本を書いている。「ジェンダー・アジェンダは大型帆船としてではなく、潜水艦として地域社会に出航し、できるだけ自分たちの姿を明らかにしないことを決意している」[23]。カトリック思想において、ジェンダー・イデオロギーの概念は、異なる性別はそのことによって補完的であるとする、ヨハネ・パウロ2世の「身体の神学」から生まれたものである[24]
1980年代の教会起源説

他方、反ジェンダー運動は、後のローマ教皇ベネディクト16世であるヨーゼフ・ラッツィンガー枢機卿が、ドイツにおいて「ジェンダーは社会的に構築されたもの」だと主張するフェミニストの本がベストセラーになったことや、トランスジェンダーが法的に性別変更できるドイツの法改正に気付いた1980年代初頭に始まったとも言われる。したがって、研究者のメアリー・アン・ケースは、「トランスジェンダーの権利の主張は、フェミニストの主張とともに、『ジェンダー』に関するバチカンの関心領域への最近の追加ではなく、世俗法の発展への関心の焦点、基礎的な構成要素だった」と主張している[16]
その後の展開


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:130 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef