双蝶々曲輪日記
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双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょう くるわにっき)は、人形浄瑠璃および歌舞伎の演目。1749年寛延2年)7月に大坂竹本座で初演され、翌8月に京都嵐三右衛門座で歌舞伎として初演された。作者は二代目竹田出雲、三好松洛、初代並木千柳。全九段。
目次

1 作品構成

2 あらすじ

2.1 背景

2.2 二段目

2.2.1 堀江角力小屋の場


2.3 八段目

2.3.1 八幡の里引窓の場



3 概略

4 脚注

4.1 注釈

4.2 出典


5 参考文献

6 外部リンク

作品構成 二段目『角力場(すもうば)』
三代目坂東三津五郎の濡髪長五郎と七代目市川團十郎の放駒長吉 (歌川国貞画) 四段目『米屋』
三代目中村歌右衛門の放駒長吉と初代市川鰕十郎の濡髪長五郎 五段目『難波裏』
八代目市川團十郎の濡髪長五郎、初代市川猿蔵の山崎与五郎、三代目岩井粂三郎の吾妻、三代目嵐璃寛の放駒長吉 (三代目豊国 画)

この節の加筆が望まれています。

段原題通称
第一浮瀬の居続けに相図の笛売り浮無瀬
新清水
第二相撲の花扇に意見の親骨角力場
第三揚屋町の意気づくに小指の身がはり井筒屋
第四大宝寺町の達引に兄弟のちなみ米屋
第五芝居裏の喧嘩に難波のどろどろ難波裏
第六橋本の辻駕籠に相輿の駆落橋本
第七道行菜種の乱れ咲き
第八八幡の親里に血筋の引窓引窓
第九観心寺の隠れ家に恋路のまぼろし

あらすじ
背景

若旦那山崎屋与五郎は遊女吾妻と恋仲である。また八幡の住民南与兵衛は吾妻の姉女郎都とこれまた恋仲である。だが、二人の女郎には平岡と云う侍と悪番頭権九郎とがそれぞれ横恋慕して、諍いが起こっている。そして与五郎には父与次兵衛から絶えず意見されるありさま。そんな二組のカップルに、力士の濡髪長五郎、素人相撲の放駒長吉がからんでいる。
二段目
堀江角力小屋の場

大阪高麗橋袂の相撲場、与五郎は贔屓の濡髪を応援に来る。そんな倅を来合せた父与次兵衛は聞えよがしに意見をする。さて、本日の一番の取り組みは濡髪と放駒の決戦である。だが、意外にも濡髪があっさりと土俵を割ってしまう。大喜びの放駒だが収まらないのは与五郎である。「何じゃい。何じゃい。何じゃい。何じゃい。竹屋の火事やあろまいし、長吉勝った。長吉勝ったてそないにポンポンポンポン云いくさるな!」と当たり散らす。それでも長五郎に慰められ、吾妻の身受けの事も引き受けると聞いて与五郎は喜んで吾妻のもとへ行く。

長五郎は恩ある与五郎のため、わざと平岡が贔屓する放駒との相撲に負け、代わりに平岡に吾妻から手を引いてもらおうと画策していたのだ。放駒はそんな頼みを一蹴する。怒った長五郎「あの、ここな素丁稚めが」と叫んで二人はにらみ合いとなる。「互いに悪口にらみ合い、思わず持ったる茶碗と茶碗」の浄瑠璃の詞通りに長五郎は「物事がこの茶碗のように丸く行けばよし、こうしてしまえば元の土くれ」と握りつぶす。長吉は握りつぶせず、刀の鍔で打ち砕き、双方再会を期して別れる。
八段目
八幡の里引窓の場

その後、長五郎は平岡を殺害し捕り手に追われる身となり、旧暦八月十五日の満月の夜、母のお幸の八幡の家に逃げてくる。お幸は南与兵衛の義母で、与兵衛と既に身請けされて妻となった都(お早)と暮らしている。実子の濡髪の苦境を憐れんで二階の離れに匿う。

「人の出世は時知れず、見出しにあずかり南与兵衛、衣服大小申し請け」の浄瑠璃で、与兵衛が郷代官に任ぜられ南方十次兵衛と改名して帰ってくる。しかも来合せた役人から長五郎逮捕の命を受ける。「聞いて母親障子ぴっしゃり、お早は運ぶ茶碗ぐわったり」と驚く二人をしり目に「搦めとって渡しなば、国の誉とあっての御頼み、一生の外聞、召し捕って手柄の程を見せたらば、母人にもさぞおよろこびだろうわい。」と与兵衛はやる気満々である。おりしも人相書を覗こうとする濡髪。それを手水鉢に見とがめる与兵衛。だが、お早が引き窓を閉めたことで、すべてを察した与兵衛は、母の頼みで人相書を渡し「申し母者人。人を殺めて立ち退く曲者、大胆にもこのあたりを徘徊はいたしますまい。河内へ超ゆる抜け道は、堀川を左へとり、川を渡って山越えに山越えに・・・」、と、逃げ道を濡髪に聞えるように告げ、村内の捜査に出かける。

与兵衛の親切に感じた濡髪は自首を決意するが、母は「せめて親への孝行に逃げられるだけ逃げてくれ。生きられるだけ生きてたも」と泣きながら息子の前髪を剃る。そして高頬の黒子も「濡髪捕ったと打ちつける、金の手裏剣高頬にぴっしゃり、」と門口に様子をうかがっていた与兵衛が投げた金子で無くなる。だが、濡髪は人々の恩義に報いるため縄にかかりたいと告げ、お早は引窓の紐を濡髪にかける。と、窓が締まり暗くなる。家に入った与兵衛は引窓の紐を切り、差し込む月の光に「南無三 夜が明けた。身どもの役は夜の内ばかり。明くればすなわち放生会」と濡髪を見逃す。人々の親切心に感謝しながら濡髪は落ち伸びる。
概略

本作の4年前、
1745年延享2年)の「夏祭浪花鑑」の好評を受け、男の侠気を描く世話物の第二弾として同じ作者集団で書き下ろされた。ゆえに「夏祭」と似通ったところがある。


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