友達_(戯曲)
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友達
訳題Friends
作者
安部公房
日本
言語日本語
ジャンル戯曲
幕数2幕13場
初出情報
初出『文藝1967年3月号
刊本情報
刊行『戯曲 友達・榎本武揚
出版元河出書房新社
出版年月日1967年11月30日
装幀安部真知
初演情報
場所紀伊國屋ホール
初演公開日1967年3月15日
劇団青年座
演出成瀬昌彦
主演大塚国夫
受賞
第3回(1967年)谷崎潤一郎賞
ポータル 文学 ポータル 舞台芸術
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『友達』(ともだち)は、安部公房戯曲。2幕13場から成る。安部の代表的戯曲で、傑作とも評されている[1][2]。一人暮らしの男のアパートに突然と闖入してきた奇妙な一家が笑顔で隣人愛を唱え、親切心の連帯で孤独の思想を駆逐し殺してしまう物語[1]。男の部屋を侵略する一家の疑いを知らぬ善意が、怪物化してゆくブラックユーモアの中に、現代社会の人間のの構造や他者との関係性が描かれている[1][2]

1967年(昭和42年)、雑誌『文藝』3月号に掲載され、同年3月15日に青年座により紀伊國屋ホールで初演された。同年9月18日に第3回(1967年)谷崎潤一郎賞を受賞。単行本は同年11月30日に河出書房新社より『戯曲 友達・榎本武揚』として刊行された。翻訳版はドナルド・キーン訳(英題:Friends)で行われ、国内外で多数上演され続けている。1988年(昭和63年)に日本・スウェーデン合作で映画化もされた。
作品成立・主題

『友達』は、1951年(昭和26年)に発表された小説『闖入者』を元にした戯曲であるが、テーマやプロットは『闖入者』とは異なっている[3]。なお、1974年(昭和49年)の改訂版『友達』では、登場人物の一家の「祖母」が「祖父」に変更され、「元週刊誌のトップ屋」がなくなり、「婚約者の兄」と「三男」が加わった。また、初出版では、タイトル横に「黒い喜劇」と銘打たれている[4]

安部公房は、『友達』と『闖入者』の異なる点については、『闖入者』の「闖入者」たちは多数原理(民主主義)を暴力の合理化に利用し、主人公はその多数神話に毒されている故にそれに逆らえず自己矛盾の罠におちいるという「受身の犠牲者」にとどまるが、『友達』の「友達」たちは、主人公の忠実すぎる従僕の役割を引受け、その協調と連帯と和解の原理により、主人公は常に「外面的には優位を保つ」ことが出来るとしながら、以下のように、その関係構造を解説している[5]。その過剰な忠実さと友情の押し売り、盲目的な連帯への信仰が、クモの糸のように主人公を窒息させてしまうのだ。「友達」たちは、終始、犠牲者の立場をよそおいながら、そして主人公は、あたかも加害者の立場に立ちながら、結果はまったく逆になってしまうのである。この皮肉と、苛立たしさこそ、まさに現代の笑いなのではあるまいか。 ? 安部公房「友達――『闖入者』より」[5]

『友達』のテーマについては、「他人とはなにか、連帯とはなにか」だと安部は述べ、共同体原理が全く無効になっている現代における人間の連帯について以下のように説明している[6]。われわれは被害者であるだけでなく加害者でもありうる。そして、被害者であるか加害者であるかということを区別するものはない。“友達”の主人公にしても、被害者でもあるが、また、ちん入者たちにとっては加害者でもありうるわけです。だからといって、僕は絶望してるわけじゃない。人間の連帯という、すでに回復しえないものを回復しようとするのは絶望的だということを指摘したいんです。連帯とか隣人愛とかいいながら仲間割れしている現状を告発したいんです。 ? 安部公房「談話記事 戯曲三本がことしの舞台へ」[6]

また、『友達』の長女は「肉体的な愛」、次女は「精神的な愛」を、「主人公に求め、また与えたいと望む」と説明し、「主人公の立場は、彼女たちの好意と善意を利用しようとすることによって、いっそう複雑なものになる」としている[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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