友利 勝良 Katsuyoshi Tomori
基本情報
名前友利 勝良
生年月日 (1954-10-25) 1954年10月25日(66歳)
身長174 cm (5 ft 9 in)
体重73 kg (161 lb)
出身地沖縄県
経歴
成績
優勝回数日本ツアー:7回
日本シニアツアー:2回
賞金ランク最高位日本男子:5位(1995年)
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友利 勝良(ともり かつよし、1954年10月25日 - )は、沖縄県出身のプロゴルファー。サニクリーン所属。日本人プロゴルファーとして、初めてヨーロッパ・ゴルフツアーに4年間フル参戦した選手である。日本ゴルフツアー通算7勝。目次 宮古水産高校卒業後、就職することが出来ないまま、故郷の宮古島から本島に渡る。親戚の手伝いなどアルバイトで暮らしていたが、20歳の時にゴルフ練習場でボール拾いのアルバイトを始める。ゴルファーとしてのスタートはかなり遅く、21歳からゴルフを始め、24歳の時に初めてマイクラブを手に入れて練習量が増える。26歳で福岡県の麻生飯塚ゴルフ倶楽部に入り、所属プロであった藤井義将の弟子となる。同じ所属プロで藤井の弟子であった秋富由利夫や藤池昇龍とのラウンドで腕を磨き、1983年12月に29歳でプロテストに合格。1986年の水戸グリーンオープンでチャレンジトーナメント初優勝、1987年の九州オープンでツアー初優勝を果たす。1989年には日本プロスポーツ大賞新人賞を受賞。1995年の全英オープン(セント・アンドルーズ)では2日目の強風の中を68で優勝したジョン・デーリーとトップタイで、結果的には24位であったが、世界にその名を轟かせる。帰国後に日本プロマッチプレー選手権プロミス杯で初優勝を飾り、決勝戦で当時26歳の丸山茂樹を破った。この優勝により日本ゴルフツアーの5年シード権を獲得すると、全英オープンで手応えを掴んだこともあり、1996年末のヨーロッパ・ゴルフツアーのクオリファイイング・スクール[1]に挑戦して見事突破。日本人プロゴルファーとして初めてヨーロッパ・ツアーのシード権を獲得したが、この当時、友利はすでに42歳を迎えていた。1997年から2000年までの4年間にわたり、ヨーロッパ・ツアーのメンバーとしてプレーする。1999年10月に行われた「サラゼン・ワールド・オープン」(スペイン・カタルーニャ)でトーマス・ビヨン(デンマーク)に2打差で敗れて優勝は逃したが、2位という成績を残す。この期間中に戦ったメジャー大会では、1998年の全英オープン(ロイヤル・バークデール
1 来歴
2 主な優勝
2.1 レギュラー
2.2 シニア
2.3 その他
3 脚注
4 関連項目
5 外部リンク
来歴
表
話
編
歴
日本マッチプレー優勝者
1970年代
75 村上隆
76 吉川一雄
77 橘田規
78 青木功
79 青木功
1980年代
80 安田春雄
81 青木功
82 青木功
83 中嶋常幸
84 中村通
85 高橋勝成
86 中嶋常幸
87 高橋勝成
88 デビッド・イシイ
89 尾崎将司
1990年代
90 尾崎直道
91 東聡
92 中嶋常幸
93 山本善隆
94 トッド・ハミルトン
95 友利勝良
96 芹澤信雄
97 丸山茂樹
98 桑原克典
99 小山内護
2000年代
00 横尾要
01 ディーン・ウィルソン
02 佐藤信人
03 トッド・ハミルトン
2003年が最終開催