日本の政治家又市 征治またいち せいじ
生年月日 (1944-07-18) 1944年7月18日
出生地 日本 富山県富山市
没年月日 (2023-09-18) 2023年9月18日(79歳没)
死没地 日本 富山県富山市
(富山県立中央病院)
出身校富山県立富山高等学校
前職自治労富山県本部執行委員長
所属政党(社会民主党→)
立憲民主党(社民フォーラム)
子女又市秀治(長男)
公式サイト前社民党党首・前参議院議員 又市征治 公式ホームページ
参議院議員
選挙区比例区
当選回数3回
在任期間2001年7月29日 - 2019年7月28日
その他の職歴
第5代 社会民主党党首
(2018年2月25日 - 2020年2月23日)
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又市 征治(またいち せいじ、1944年〈昭和19年〉7月18日 - 2023年〈令和5年〉9月18日)は、日本の政治家、労働運動家、地方公務員。参議院議員(3期)、社会民主党幹事長(第5代・第7代)、副党首、党首(第5代)を歴任。 1944年7月18日、富山県富山市生まれ。1962年、富山県立富山高等学校卒業。1965年、富山県庁就職。1974年、自治労富山県本部書記長に就任。1995年、自治労富山県本部執行委員長就任。 2001年、第19回参議院議員通常選挙に社会民主党公認で比例区から立候補し、初当選した。 幹事長時代に、政党交付金の激減による財政難から党の財政と運営を見直すために創設された党改革推進委員会委員長を兼任。33人の党本部職員のうち、9人を指名解雇するリストラ方針を決めた{{要出典}}。これらの人員整理の手腕から、党内の一部で、「人切り又市」と呼ばれた[1]。又市は「どこかの会社と一緒にして『解雇』と大々的に宣伝されるのは心外だ。党員に事情をよく説明し、人件費削減への協力をお願いしている」と語った{{要出典}}。これを不服として、対象者の内3名が原告となり、解雇撤回を求めて訴訟が起こされた。一審では原告側が敗訴したが、控訴審では原告3名の内1名が訴えの一部を認められ、後に金銭和解が成立(2008年1月東京高裁)した。残る2名の原告は上告したが、2008年2月1日、最高裁が上告を棄却し、社民党の主張がほぼ全面的に認められ、原告側の敗訴が確定した{{要出典}}。 2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で再選(比例区)。2007年12月22日幹事長を重野安正と交代、社民党党大会において、参議院議員選挙での敗北の責任を取る形で幹事長を退いたが、福島瑞穂党首から三役に留まるよう要請され副党首に就任。福島はこの人事について「昇格だ」と語った。 2010年7月、社民党参議院議員会長に就任。7月下旬に副党首の辞任届を党首に提出したが、8月25日に撤回。 2013年1月、幹事長であった重野の引退に伴い幹事長職に復職(副党首を兼務)。7月25日、第23回参議院議員通常選挙で3選(比例区)。参議院議員選挙の敗北の責任を取り福島瑞穂が党首を辞任、党首代行を兼務[2]。11月、社民党全国代表者会議で幹事長に再任。 2018年2月25日、吉田忠智の任期満了に伴う後任として、2018年社会民主党党首選挙で無投票当選、社民党党首に就任。6月9日、党首の活動に専念するため党富山県連合代表を退き、県連の特別顧問に就任した。 2019年2月17日、党全国代表者会議で、改選を迎える夏の参院選比例代表に立候補しない意向を表明した。主要野党間の候補者一本化の状況を見極めながら、選挙区での出馬を模索するとしていた[3]。5月7日、記者会見で「4月末に肺がんが見つかった」と述べた。東京都内の病院に13日から入院し、14日に手術を受けた[4]。6月15日、選挙区も含め第25回参議院議員通常選挙に出馬せず、議員活動から引退する意向を表明した。 2020年2月の社民党党首選挙に向けては、当時社民党と立憲民主党の合流協議が行われていることから又市の続投を希望する声も根強く存在したが、健康上の理由で立候補しなかった[5]。2月23日、任期満了で党首を退任し(後任は福島瑞穂)、党顧問に就任した[6][7]。 2021年2月、所属する社民党富山県連が立憲民主党への合流議案を可決したことに伴い、党顧問を辞任[8]。自身も3月1日付で立憲民主党に入党した[9]。立憲民主党の党内グループの社会民主主義フォーラムにも加わり、顧問に就任した[10]。 2023年9月18日早朝、敗血症のため富山県立中央病院で死去した[12][13]。79歳没。 葬儀は同月20日、富山市で営まれ、約500人が参列した。立憲民主党前代表の枝野幸男、前幹事長の福山哲郎のほか、日本共産党書記局長の小池晃らも訪れた。元内閣総理大臣の村山富市から寄せられた「「『またさん』には社民党の厳しい時期を中心になって支えていただいた。
生涯
生い立ち
国政にて
幹事長時代
党首就任
党首退任後
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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