厳罰化
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厳罰化(げんばつか)とは、一般には(犯人に対する量刑)を重く厳しくすることをいう。重罰化と呼称する場合もある。また犯罪被害者側の立場・視点からは、「厳罰化」ではなく「適正化」といわれることもある[1]

対義語としては、量刑が寛大になることを意味する寛刑化(かんけいか)という言葉がある[2]
厳罰化の根拠と批判
根拠

例えば、合理的選択理論や行動経済学によれば、人は、犯罪から得られる利益と、逮捕の危険性や刑罰の重さを比較衡量し、犯罪を実行するかを決めると考えられる。すなわち、犯罪の利益>逮捕の危険性×刑罰の重さ

となる場合に、犯罪を実行することになる[3]。したがって、刑罰を重くすることで、犯罪から得られる利益よりも不利益を大きくすることで、犯罪を予防することができる。

実証的には、犯罪への罰則強化のもたらす効果について、パネルデータを用いた分析によって、罰則強化が犯罪抑止に効果的であるとの研究結果も存在する[4]

また、特に有期刑の上限の引き上げは、無期刑と有期刑のギャップを埋めるという効果がある。日本では、以前は有期懲役の上限は15年であったため、「15年では軽すぎる」という事例で無期懲役が選択されることがあった。逆に、犯情は無期懲役相当の重さであるが、減軽事由の存在により有期懲役となる場合、一気に15年まで刑が下がるということになった。有期懲役の上限引き上げは、このギャップを埋め、適切な量刑に資することとなった[5]

その他、次のような効果が指摘される。

被害者がいる場合は被害者感情、遺族感情を鎮める

社会的結束を強化するとの指摘もある[6]

批判

合理的選択理論によれば、厳罰化すればするほど犯罪は減少することになるが、必ずしもそういった結論は実証されていない。また、常に人間行動の数量的分析が可能かどうかにも、疑問が呈されている
[7]

社会の懲罰意識が司法の厳罰主義をもたらし[8]冤罪のダメージが増すとの指摘がある。『A』など旧オウム真理教に関するドキュメンタリー作品を発表しているドキュメンタリー監督の森達也は、オウム真理教事件で元教祖の麻原彰晃に死刑を言い渡すのは、共同共謀正犯の拡大解釈が必要なほど難しいのに、麻原を極刑に処せということが社会の暗黙の了解事項になっていると指摘している。それに疑問を挟もうものなら「被害者や遺族の苦しみを知れ」や「許せない」などの激しい口調にかき消されるという見解を示している[8]

社会の峻厳・狭隘が固定化し、排除の論理が蔓延する[9]

新しい犯罪類型の新設により、他の類型とのバランスが崩れる[注釈 1]

ひき逃げ飲酒運転後に、酒の追加(いわゆる「呑み直し」)や水の大量摂取や替え玉出頭など、厳罰を逃れるために、証拠隠滅などさらなる罪を重ねてしまう。

罰則を科すことの刑務所維持管理など、社会的コストが増大する。

死刑囚以外、囚人が刑期満了によって、いずれは刑務所を出所(特に交通事故の加害者は危険運転致死罪であっても最長で懲役20年〈併合罪や再犯は30年〉の有期刑)し、一般生活に復帰する現実を受け容れようとしない。

厳罰化のジレンマ

日本では危険運転致死傷罪が制定され、さらに飲酒運転の処罰の厳罰化に伴い、飲酒運転に起因する死亡事故は激減し、2005年(平成17年)には10年前の半数にまで減少した。一方で、交通事故を起こした運転者が危険運転致死傷罪による厳罰を恐れたためにひき逃げや「飲み直し」による飲酒運転の証拠隠滅が増加したという指摘[11]や、銃刀法の改正による違法拳銃所持の厳罰化によって拳銃の隠し方が以前より巧妙になり、拳銃の摘発が難しくなっているとの指摘[12]がある。ただ、実際には、死亡ひき逃げ事故において、犯人を検挙できない確率は10%前後でほぼ安定している(犯罪統計)。
日本における厳罰化・重罰化の背景

地下鉄サリン事件などのオウム真理教事件が厳罰化の転機になったといわれており[13]、被害者感情の重視や犯罪報道による体感治安の悪化なども背景にある。

日本では1996年(平成8年) - 1997年(平成9年)にかけ、死刑求刑事件の控訴審で死刑が回避される事件が相次いでおり(甲府信金OL誘拐殺人事件名古屋アベック殺人事件つくば妻子殺害事件)、これらの事件に対する検察からの上告はなされていなかったが[14]、1997年2月に広島高裁で言い渡された福山市独居老婦人殺害事件の控訴審判決で、過去に強盗殺人を犯して無期懲役に処され、仮釈放中に強盗殺人を再犯した被告人に再び無期懲役が言い渡された[注釈 2]ことを最高検察庁刑事部長の堀口勝正が問題視し、検事総長土肥孝治に「国民が納得できない」と進言したことを機に、死刑を求刑されながら控訴審で無期懲役の判決が言い渡された5事件(福山事件や国立市主婦殺害事件など)に対する検察側の「連続上告」が行われた[16]。結果は福山事件を除き上告棄却となったが[注釈 3]、国立事件の上告審判決における理由では「〔殺害された〕被害者が1名の場合でも、極刑がやむを得ない場合があることは言うまでもない」という言及がなされていた[19]。殺人罪の有罪件数に占める死刑判決の割合(第一審)は、戦後の混乱期で死刑判決が多く出された時代から1950年代になって減少したが、「連続上告」がなされた1997 - 1998年ごろを境に、2006年までの約10年間で上昇に転じていることが判明している[20]。『読売新聞』はこの「連続上告」を境に(第一審から上告審まですべての審級で)1年間に死刑判決を言い渡された被告人の数が急増していることや[21]、2000年(平成12年)から2005年(平成17年)にかけ、東京高裁が被害者1人の殺人事件3件(JT女性社員逆恨み殺人事件群馬女子高生誘拐殺人事件三島女子短大生焼殺事件)で相次いで、第一審の無期懲役判決を破棄して被告人を死刑とする判決を言い渡したことを受け[22]、裁判所が死刑求刑事件に関してそれまでの「寛刑化」の傾向から「重罰化」に転じていることを指摘していた[21][22]。詳細は「福山市独居老婦人殺害事件#広島高検が死刑適用を求め上告」を参照
日本国政府による施策

2003年(平成15年)12月18日日本国政府は犯罪対策閣僚会議において、「世界一安全な国、日本」の復活を目指すとして、「犯罪に強い社会の実現のための行動計画」を策定した。この計画の中で、政府として、治安水準の悪化と国民の不安感の増大があることを認識しつつ、治安回復のための基盤整備の一環として、凶悪犯罪等に関する罰則について、法定刑・有期刑の上限の引上げを含めた整備をおこなうことを明らかにした。

最高検察庁検事土本武司筑波大学名誉教授)は、「これまでは法律の専門家だけで刑罰をきめてきたが、国民感情からすれば寛大すぎて不満が溜まっていた。厳罰化は当然の流れで、あるべき姿」と指摘している[13]
被害者・被害関係者の感情

法学者の浜井浩一は、犯罪被害者・遺族の団体である全国犯罪被害者の会(あすの会)の結成によって、忘れられていた被害者の存在が注目され、世論の潮流や政治の動きに変革をもたらし、法務・検察側も厳罰化をもとめる同会に連動し、刑法や刑事訴訟法の改正を実現させたと分析している[13]

評論家の芹沢一也は、1995年に地下鉄サリン事件や阪神・淡路大震災兵庫県南部地震)がおきて、PTSD(心的外傷後ストレス障害)といった多大な被害をうけた人の精神的な苦痛に注目が集まったことも厳罰化に影響したと指摘している[23]


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