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厳島
奥は弥山の北麓。手前に見えるのは大野瀬戸に面して鎮座する厳島神社
所在地 日本(広島県廿日市市)[1][2]
所在海域瀬戸内海 安芸灘
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度16分0秒 東経132度18分0秒 / 北緯34.26667度 東経132.30000度 / 34.26667; 132.30000
厳島(いつくしま)は、広島県廿日市市宮島町にある島。瀬戸内海西部、広島湾の北西部に位置する。通称は安芸の宮島(あきのみやじま)、または宮島。 古代より、島そのものが自然崇拝の対象であったと考えられる。平安時代末期以降は、厳島神社の影響力の強さや海上交通の拠点としての重要性から、たびたび歴史の表舞台に登場するようになった。江戸時代中期には、丹後国(現・京都府北部)の天橋立、陸奥国(現・東北地方東部の宮城県)の松島と並ぶ、日本三景の一つに挙げられる景勝地として広く知られることにもなり、日本屈指の参詣地・観光地として栄えるようになった[3]。現在では人口1800人余りの島に国内外から年間300万人を超える参拝客及び観光客が訪れており[* 1]、2011年には、トリップアドバイザーが「外国人に人気の日本の観光スポット」トップ20の第1位と発表した[4]。原爆ドームとならんで広島県の代名詞的存在の一つである[3]。 景勝地としての厳島の中心は、厳島神社である[3]。海上に浮かぶ朱塗の大鳥居と社殿で知られる厳島神社は、平安時代末期に平清盛が厚く庇護したことで大きく発展した[3]。その社殿群の構成は、平安時代の寝殿造の様式を取り入れた優れた建築景観をなし、敷地内の神社殿は海上に立地し、海と景観に調和して配置され、中央に人工建築、手前に海、背景に山々の三位一体が組み合わさり、人工の成果と自然の要素を組み合わせた景観は他に比類がなく、これらは清盛の卓越した発想によるものである[3]。現在、本殿、幣殿、拝殿、祓殿、廻廊(いずれも国宝)などのほか、主要な建造物はすべて国宝または国の重要文化財に指定されている[3]。皇族・貴族や武将、商人たちが奉納した美術工芸品・武具類にも貴重なものが多く、中でも清盛が奉納した「平家納経」は、平家の栄華を天下に示すものとして豪華絢爛たる装飾が施されており、日本美術史上特筆すべき作品の一つとされる。厳島神社および弥山原始林は、1996年(平成8年)にユネスコ世界遺産に登録されている[3]。。海岸の一部は2012年(平成24年)7月3日、ミヤジマトンボの生息地としてラムサール条約に登録された[5]。 島の最高峰・弥山(標高535メートル)山頂から望む瀬戸内海の多島美も人気があり、毎年元旦未明には初日の出を目指す人で混み合う。この地を愛した伊藤博文は「日本三景の一の真価は弥山頂上からの眺望に有り」と絶賛し、それがきっかけで明治時代後期に弥山への一般登山路が整備された。1900年(明治33年)に定期航路が開設されると、旧来の渡し船に依存していた交通が改善し、島への参拝客・観光客が急増した。 島の全域(周辺海域を含む)が1934年(昭和9年)に瀬戸内海国立公園に編入され、自然公園法が定める特別保護区域となっている。1952年(昭和27年)には国の特別史跡及び特別名勝に指定され、弥山の原始林は国の天然記念物に指定されている。 かつて島全体が佐伯郡宮島町と一致していたが、2005年(平成17年)に廿日市市と合併した。2021年(令和3年)8月2日、厳島神社付近の町並みは「廿日市市宮島町伝統的建造物群保存地区」として重要伝統的建造物群保存地区に選定された[6]。 「いつくしま(厳島、異表記:嚴島、嚴嶋ほか)」という地名は、「イツク(斎く。意:心身のけがれ[* 2]を除き、身を清めて神に仕える)+ シマ
概要
名称
厳島