厳島丸_(タンカー)
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厳島丸

基本情報
船種タンカー
クラス川崎型油槽船
船籍 大日本帝国
所有者日本水産(現・ニッスイ、1938年)
共同漁業(1938年-1943年)[1]
日本海洋漁業統制(1943年-)[2]
運用者 日本水産(1938年)
共同漁業(1938年-1941年)
 大日本帝国海軍(1941年-)
建造所川崎造船所[3]
母港東京港/東京都
姉妹船川崎型油槽船12隻
信号符字JYQL
IMO番号44234(※船舶番号)
建造期間244日
就航期間2,503日
経歴
起工1937年(昭和12年)4月21日[4]
進水1937年9月4日[5]
竣工1937年12月28日[6]
最後1944年(昭和19年)11月1日沈没
1954年(昭和29年)4月26日浮揚後解体
要目
総トン数10,006トン[5]
または10,007トン[3]
純トン数5,807トン
載貨重量13,400トン[5]
全長153.39 m [5]
垂線間長152.4 m [4]
型幅19.80 m [5]
型深さ11.32 m [5]
喫水3.44 m (空艙平均)[5]
満載喫水8.98 m (満載平均)[5]
主機関川崎MAN D8Z70/120ディーゼル機関1基
推進器1軸
出力10,000馬力(計画)[5]
最大出力11,693馬力[4]
定格出力11,000馬力[5]
最大速力19.79ノット[5]
航海速力17ノット[5]
航続距離17ノットで16,000海里
乗組員56名[5]
1941年(昭和16年)11月22日徴用
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厳島丸
基本情報
艦種特設運送船(給油船)
艦歴
就役1943年9月1日(海軍籍に編入時)
呉鎮守府部隊/呉鎮守府所管
除籍1944年12月10日
要目
兵装最終時
四一式12cm単装砲1門
九六式25mm機銃連装6基
同単装4基
爆雷18個
装甲なし
搭載機なし
ソナー九三式水中聴音機1基
徴用に際し変更された要目のみ表記
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厳島丸(いつくしままる)は、日本水産(現・ニッスイ)が所有し、運航したタンカー。「厳嶋丸」と書くこともある[5][3][7]
船歴
南氷洋捕鯨

戦前の日本の捕鯨、特に南氷洋捕鯨は戦後のそれとは違って、捕鯨を行っていた他の国々と同様に鯨油の採取が主な目的であった。日本では鯨油の貯蔵や輸送、および捕鯨船団の各船に対する燃料補給用として、捕鯨母船に鯨油槽を装備しており、総トン数は15,000トンを超えていた[8]。しかし、日本水産が所有していた捕鯨母船「図南丸」(9,866総トン)だけは冷凍船改装の中古船で他の捕鯨母船と比べて小さく、鯨油槽の容量も小さかった。そのため、この図南丸に随伴して鯨油の貯蔵や輸出先であるヨーロッパへの輸送[7]、および捕鯨船団の各船に対する燃料補給用としての大型タンカーが必要とされたので、日本水産は優秀船舶建造助成施設を活用して[5]川崎造船所にタンカーを発注することとなった。これが「厳島丸」である。1937年(昭和12年)12月28日に完成した「厳島丸」は、この時期に建造された大型タンカーの大半を占めていた川崎型油槽船(タンカー)の一隻であったが、鯨油を取り扱い、捕鯨船団への各種物資の補給に従事するという性格上、異質の油類を同時に取り扱えるスチームポンプの他、一番油槽前部と機関室後部に貨物室が設置された[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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