原知佐子
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「原サチコ (女優)」とは別人です。

はら ちさこ
原 知佐子
キネマ旬報社『キネマ旬報』第252号(1960)より
本名実相寺 知佐子(じっそうじ ちさこ)
別名義田原 知佐子(たはら ちさこ、旧姓名および旧芸名)
生年月日 (1936-01-06) 1936年1月6日
没年月日 (2020-01-19) 2020年1月19日(84歳没)
出生地 日本高知県高岡郡高岡町(現在の同県土佐市
死没地 日本東京都
ジャンル女優
活動期間1959年 - @media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}2020年[要出典]
配偶者実相寺昭雄(1963年‐ 2006年)
著名な家族実相寺吾子(娘)
主な作品
テレビドラマ
赤い疑惑
赤い衝撃
岸辺のアルバム
花嫁衣裳は誰が着る
ダブル・キッチン
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原 知佐子(はら ちさこ、本名:実相寺 知佐子(じっそうじ ちさこ)[1][2]、旧姓名・旧芸名:田原 知佐子(たはら ちさこ)、1936年昭和11年〉1月6日 - 2020年令和2年〉1月19日)は、日本女優。夫は実相寺昭雄。現代制作舎所属。

高知県高岡郡高岡町(現在の同県土佐市)出身。高知県立高知追手前高等学校卒業、同志社大学文学部美学美術学科中退。
来歴・人物

高岡第一小学校に在学中、教師から「この子は宝塚に入ったらいい」と薦められ、芸能界に憧れる。

高岡中学校を経て、1954年に高等学校を卒業。宝塚歌劇団松竹歌劇団を受験するが落ちてしまい、「芸能人の多い京都ならばコネで潜り込めるかも」と思い立ち、大学に入学。1955年新東宝の「第4期スターレット」(同期は北沢典子三ツ矢歌子万里昌代、朝倉彩子ら)に合格後、大学を中退。

1959年には東宝に移籍。『女子大学生 私は勝負する』で映画初主演。

1970年代に山口百恵がヒロイン出演した「赤いシリーズ」での強烈なイビリ役で有名となり[3]、一連の大映ドラマに欠かせない名脇役として活躍。

夫の実相寺が亡くなるまで、実相寺の監督作品の常連出演者でもあった。

2017年に発売された『異端の映画史 新東宝の世界』(映画秘宝編集部・編、洋泉社)に、北沢典子・矢代京子らとの座談で新東宝在籍時の事を語っている[4]

2020年1月19日午後6時4分、上顎肉腫のため、東京都内の病院に於いて死去[1]。84歳没。墓所は染井霊園
出演
映画

何故彼女等はそうなったか
(1956年)

スーパージャイアンツ 宇宙怪人出現(1958年)

汚れた肉体聖女(1958年)

女子大学生 私は勝負する (1959年)

黒い画集 あるサラリーマンの証言(1960年)

秋立ちぬ(1960年)

女ばかりの夜(1961年)※主演

真紅の男(1961年)

二人の息子(1961年)

その場所に女ありて(1962年)

乾いた花(1964年)

おんな番外地 鎖の牝犬(1965年)

かも(1965年)

続・おんな番外地(1966年)

女は復讐する(1966年、松竹)

華岡青洲の妻(1967年)

砂糖菓子が壊れるとき(1967年)

女賭博師鉄火場破り(1968年)

愛のきずな(1969年)

十七才の成人式(1971年)

あさき夢みし(1974年)※実相寺昭雄監督作品

祭りの準備(1975年)

泥だらけの純情(1977年)

翼は心につけて(1978年)


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