原由子
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アナウンサーの「原ゆう子」あるいは声優の「原優子」とは別人です。

原 由子

基本情報
出生名原 由子
生誕 (1956-12-11) 1956年12月11日(67歳)
出身地 日本神奈川県横浜市
学歴青山学院大学文学部卒業
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ポップ・ロック

J-POP

歌謡曲

職業

シンガーソングライター

作詞家

作曲家

編曲家

担当楽器

キーボード

ボーカル

コーラス

ピアノ

シンセサイザー

ギター

事務所アミューズ(1978年 - )
共同作業者

サザンオールスターズ

桑田佳祐

小林武史

公式サイトSOUTHERN ALL STARS OFFICIAL SITE

原 由子(はら ゆうこ、1956年〈昭和31年〉12月11日 - )は、日本の女性ミュージシャンシンガーソングライター[1][2]。ロックバンドであるサザンオールスターズのメンバーで、キーボードボーカルを担当[3]神奈川県横浜市出身[3]。所属事務所はアミューズ[4]。所属レコード会社JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント[5]、所属レーベルタイシタレーベル[5]青山学院大学文学部卒業。愛称は、原坊(ハラボー)[3]

夫はサザンオールスターズのバンドマスターを務める桑田佳祐[6]
概要

1978年にサザンオールスターズのメンバーとしてメジャーデビューを果たし、1981年に「I Love Youはひとりごと」でソロ活動を開始した[7]。サザンとソロ活動を両立し、ソロとして「恋は、ご多忙申し上げます」「ハートせつなく」「花咲く旅路」などがヒットしている[8]。ミュージシャンとしての活動ではソロコンサート、楽曲提供も行い、ほかにもエッセイの出版、CM・ラジオの出演など幅広く活動している。
人物
音楽性「サザンオールスターズ#音楽性」も参照

サザンとしてデビューする以前は自分の声に自信がなかった。理由は小学生のころに「ウルトラセブンの歌」を歌って父に買ってもらった小さなテープレコーダーに吹き込んだところ、原が言うにはその声が変な声だったからである。普段自分の頭を通して聴いている声と外に出ている声は違うと教えてもらって愕然とした。しかし、初めてメインボーカルを担当した「私はピアノ」をレコーディングおよび発表して以降は、少しずつ自分の歌声に自信を持つようになった[9]。桑田は原の歌声について、「彼女ってものすごく声域が広いとか、声が強いということではないんですよ。やりすぎない歌唱技術というのかな、独特で、繊細なものがある」と分析、また「音楽的に詳しいから、いろいろ相談しながらやっていくと楽しいんです」とリスペクトした[10]。また、桑田は原の歌声の魅力を「日本の原風景を感じさせる要素がある」と考えており、「花咲く旅路」「京都物語」「旅情」などのそういったテーマの楽曲を提供している[11][12][13][14]。また、編曲家の曽我淳一は原の歌声の魅力を「演歌とは明確に違うちょっと和風テイストなこぶしが原さんの真骨頂」と評している[15]。サザンのコーラスについて、桑田は厚みを出しているのは原とドラムスの松田弘であるといい、原と松田の相性の良さを指摘した[16]

サザン・ソロ問わず原の持ち歌は、桑田が制作したもの[注釈 1]、原が制作したもの[注釈 2]、桑田と原が共作したもの[注釈 3]、交流のあるミュージシャンやサポートミュージシャンから詞や曲の提供を受けたもの[注釈 4]など多岐に渡っている[58][59]。サザン名義の楽曲でかつ桑田がボーカルを担当している「Oh! クラウディア」は元々原のソロコンサートのアンコールで「昨日作った曲です」と紹介され、原のボーカル・ピアノ伴奏で歌われた楽曲であり、それに手を加えた形でのリリースとなったため、作詞・作曲のクレジット上は桑田のみだが、実際は桑田と原による共作であるといわれる[60][61]。歌詞や曲を書き上げるペースについては「物凄く悩んで時間をかけます(笑)」と語っている[62]。また、歌詞を書くペースは遅く、桑田らからはソロ活動の間隔が開く原因の一つと指摘されている[11]。原を取材したインタビュアーからは「瞬発力も擁する桑田さんと違って、原さんは熟考タイプだとお見受けしました」と評された[62]

作曲をすることよりも、アレンジを考えたり、コーラスやカウンターのメロディー[注釈 5]をつけることを好んでいるといい、作曲をするのは、タイアップ先からのオファーや桑田からの助言があってからであるという[62]。原は桑田の楽曲の特徴を理解しピアニストとして支えている[64]。これについて原は「シンプル、それでいて心に残るようなフレーズを心掛けて弾いている」と話している[64]。このこともあり桑田は原のことを「サザンオールスターズの羅針盤であり、桑田佳祐にとっての灯台」と語っている[65]。この桑田の発言を聞いた俳優の古田新太は「ハートと腕があるこそ言える言葉。支え合うことを知ってる人がステキな作品を作る」と高く評価する発言をした[15]。サザンの楽曲である「ミス・ブランニュー・デイ」のイントロはシンセサイザーが出始めて特性を理解したころにそれを駆使したテクノっぽいイントロを取り入れることを桑田から提案され原が作ったものである[15][66]。また、「Bye Bye My Love (U are the one)」「マチルダBABY」「」「DIRTY OLD MAN ?さらば夏よ?」「JAPANEGGAE (ジャパネゲエ)」「メロディ (Melody)」などのイントロや[64][15][67]、「東京VICTORY」および桑田のソロ名義の楽曲である「SMILE?晴れ渡る空のように?」の”Wow Wow …“のコーラスの後半のハモリも原が作ったものである[68][69]。桑田はミュージシャンとしての原を「楽器のラインを書く才能がすごくある」「弦の鳴り方や歌に対しての楽器の乗せ方がすごく上手い」と評価している。また、桑田が原にミュージシャンとしてここだけは負けると思うこととして、「もしかしたら、本気で曲を作らせたら負けるんじゃないかな」「作る時のギターとピアノの違いっていうのがあるだろうけど、もしも同じ条件で作曲したら、原坊の方が断然上なんじゃないかと思いますよ」と語っており、理由は、桑田がステレオタイプな作風であり、作曲のツールのひとつにバンドという形態が必要であるのに対し、原にはそういったところがなく、決してパロディー的な感覚で制作しないからであると述べている[58]。サザンのメンバーで楽譜が読めるのは原のみであり、他のメンバーは感覚を頼りに音楽をやっている[70]ICレコーダーが普及する以前は桑田の楽曲の制作時に楽譜やコード譜などを原が適当にメモをする役割を担っていた[71]。このこともあり黒柳徹子は「あなた(原)がいないと彼(桑田)は成立しないんだなと思いました」と語っている[71]。ただし、現在はコード譜に関しては桑田も書けるようになっている。レコーディングに向けたリハーサル合宿では桑田がコード譜をホワイトボードに書き、歌詞がついていない状態のメロディを歌い、それに合わせてメンバーが演奏していき、アレンジを模索していく方式がとられている[72]。「夢をアリガトウ」のレコーディング時には作者である桑田がサポートメンバーの片山敦夫に原のキーに合わせた際のコード進行のイメージを予め伝える場面が記録されている[73]。また、ICレコーダーの普及後は編曲や全ての楽器を桑田が担当した「MUSIC TIGER」「素敵な未来を見て欲しい」のように原を頼らない形での楽曲制作やレコーディングが不定期ながら行われることもあった[74][75][76]。また、桑田が言うにはコード譜が分かるようになってからも、テンションについては原に考えてもらうことがあるという[77]

ライブやレコーディングでの主な使用機材としては、コルグ社製のキーボードおよびローランド社製のシンセサイザー「Jupiter-6」を使用することが多い。特に後者をライブで使用することについては「ライブだと自分で弾かないとつまらない。自分で楽しむ為に手弾きでやっている」と話している[78][15]

ピアノだけでなくギターも弾くことができ、1995年のライブ『ホタル・カリフォルニア』のアコースティックコーナーや『桑田佳祐の音楽寅さん ?MUSIC TIGER?2009年5月18日放送分でその技量を披露した[79][80]吉田拓郎の楽曲をよく練習をしていたため「スリーフィンガーだけは今でも夫(桑田)より上手い」と自負するほどになっている[81]

桑田は「原さんには好きな曲を歌ってほしいと思うし、歌う曲を好きになってほしいと思う」と語ったことがあり[10]、一方の原も「私はずっと桑田の音楽の大ファンなんです」と語っている[62]


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